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栄華の象徴、新たな観光資源に 広島(香川県丸亀市)

弘法大師が修行したと伝わる心経山から一望した瀬戸内の多島美
弘法大師が修行したと伝わる心経山から一望した瀬戸内の多島美

香川県の広島(讃岐広島)は、備讃(びさん)瀬戸と呼ばれる岡山県と香川県の間の瀬戸内海に浮かぶ塩飽(しわく)諸島の一つで、瀬戸大橋の西側に位置する。同諸島はほぼ全域が日本で初めて国立公園に指定された地域の一部となっており、世界有数の多島美を誇る。

一見、穏やかに見える海だが複雑な潮流をしており、広島を含めた塩飽諸島は、戦国時代より塩飽水軍と呼ばれる操船の優れた水夫が多く輩出されてきた。江戸時代には幕府の御用船方(ごようふなかた)としても重宝され、北前船の西回り航路の海運業で栄えた。

広島は花崗(かこう)岩で、青みがかった色合いの「青木石」の産地で、大坂城の築城にも使われたことで知られる。明治から昭和にかけて石材産業で発展し、最盛期には約70の採石場があったそうだ。令和元年、塩飽諸島を含む備讃諸島における「石の島」の物語が日本遺産に認定された。

「切り込みはぎ」と呼ばれる高度な技術が用いられている尾上邸の石積み
「切り込みはぎ」と呼ばれる高度な技術が用いられている尾上邸の石積み

その構成文化財の一つである広島の尾上(おのえ)邸は、かつて廻船(かいせん)問屋として繁栄した尾上家の屋敷だ。築200年と推定される総ケヤキ造りの家屋で、地域特有の塩飽大工の意匠が見られる。高さ4メートル余りの青木石で築かれた石垣の上に建っており、城と見まがうほどだ。 しかし、ほぼ空き家の状態で、いずれ石垣が崩れ、家屋も朽ちていくのではと懸念されていた。そんな折、尾上家より屋敷を丸亀市に譲渡したいという話が持ち込まれた。同市は島民と協議を重ね、屋敷をリノベーションして観光資源として生かす道を選んだ。

令和元年7月、丸亀市で同じ航路の塩飽諸島3島による「讃岐広島・小手(おて)島・手島活性化協議会」が発足し、国の農泊推進事業を活用。いばらの道ではあったが、尾上邸を今年7月に宿泊やイベントなどの開催ができる施設に生まれ変わらせた。島に滞在しながら海や山などで島らしい体験コンテンツも楽しめる。

私も何度か尾上邸を見学した。蔵には北前船の交易品と思われる江戸時代以降の品々が収められ、隆盛を極めた時代を垣間見た。今秋に開催された尾上邸の感謝祭では、邸内の「おくどさん(かまど)」で炊いた釜飯の「にぎり」が振る舞われた。香ばしく、昔ながらの深い味がした。

観光資源の乏しいといわれる島で、こうした島の財産が秘めやかに存在することを知った。時を超えて息吹がもたらされ、島のよりどころとなっていくだろう。

今、広島の人口は約200人。時代とともに島の歴史や文化を伝える人たちも減り、いにしえの栄華を物語る建造物も幻となるかもしれない。あるものをどう生かすかが、地域活性化の鍵となるだろう。

■アクセス 丸亀港(香川県丸亀市)からフェリーや旅客船で。

■プロフィル 小林希(こばやし・のぞみ) 昭和57年生まれ、東京都出身。元編集者。出版社を退社し、世界放浪の旅へ。帰国後に『恋する旅女、世界をゆく―29歳、会社を辞めて旅に出た』(幻冬舎文庫)で作家に転身。主に旅、島、猫をテーマにしている。これまで世界60カ国、日本の離島は100島を巡った。