東日本大震災から、11日で10年9カ月。復興の象徴でもあるリゾート施設スパリゾートハワイアンズ(福島県いわき市)では、震災翌年にフラガールになったラウレア美咲さんが今年1月、第18代のキャプテンに就任した。「先輩ダンサーが築いた絆を受け継いでいきたい」。被災地から笑顔を発信し続ける。(浅上あゆみ)
震災直後を知る最後のダンサーが引退し、キャプテンに。「節目」とされる震災から10年の年、震災とハワイアンズの記憶をつなぐ役割を担った。
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ステージで踊るダンサーら=福島県いわき市のスパリゾートハワイアンズ(鈴木健児撮影)
美咲さんはいわき市に隣接する茨城県北茨城市出身。幼いころからダンスが大好きで、家族で通っていたハワイアンズでフラガールに憧れた。「目指すなら、本気で」。母の言葉を胸にハワイアンズ近くの高校で演劇コースを専攻、踊りを磨き、夢をかなえた。
平成23年の震災発生当時、高校生だった美咲さんには忘れられない光景がある。北茨城市にやってきたフラガールが見せた踊りと明るい笑顔だ。
震災の影響でハワイアンズが休館、フラガールは踊る場所を奪われた。その年の5~10月、「フラガール全国きずなキャラバン」として、26都府県と海外を含む125カ所で計247公演を実施した。東京電力福島第1原発事故の風評被害にあえぐ福島の復興のため、元気な姿を発信した。
被災して家を失ったフラガールもいた。「それでも先輩はいわきのため、笑顔で踊り続けた。あの時全国を回ってくれたから、今のハワイアンズがある」と美咲さんは話す。
美咲さんも入社後、キャラバンに参加し、大雨被害のあった広島県呉市や岡山県倉敷市などを訪ねた。仮設住宅も回り、コンクリートの上でも踊った。
美咲さんの持ち味は表現力。悲しく、つらい被災者を前に、どう踊ればいいか悩んだこともあった。出した答えは、笑顔だった。
「私の方が元気をもらい、人と人との温かいつながりを感じた」。特別なダンサーにのみ許されるハワイアンネーム。「ラウレア」は「平和、幸福、友情」の意味だ。
美咲さんは遠くない将来の引退も見据えている。
「若い子に震災のことを引き継いでいかないといけない。いわきもフラガールも進化していかなければいけないが、変わらず、愛情や思いやりといった意味を持つ『アロハ』の心を皆さんと分かち合いたい」
そんな思いを新人フラガールも受け止めている。
今年、デビューを果たしたいわき市出身の片寄(かたよせ)綾乃さんは「ふるさとを元気にしたい」と話す。
震災当時は小学生。記憶はおぼろげだが、フラガールが被災地を回る様子をテレビで見たことを覚えている。「人を勇気づける仕事がしたい」と、高校でフラダンスを始めた。
試験を受けたが、一度目は不採用。あきらめきれず、ハワイアンズの運営会社に入り、施設内のレストランで勤務しながら、翌年再挑戦、デビューを果たした。「故郷のために頑張りたい」。フレッシュな笑顔が輝く。
宮城県富谷市出身の加藤華南(はな)さんは新型コロナウイルス禍で休止中のキャラバンを復活させたい。「震災、コロナ…。大変な状況でもフラダンスで心を安らかにしてほしい」と願う。
今年、ソロダンサーとなって、ハワイアンネームをもらったイオラナ怜奈さん。震災では、いわき市の自宅が半壊した。
「10年はあっという間だった。福島にはまだ思うように復興が進んでいないところもある。そういった方々にも元気を届けたい」
フラガールが被災地から届ける笑顔と絆は途切れることはない。これからの10年も、そして、その先も。
フラガールの絆描いたアニメ映画公開中 「フラ・フラダンス」
フジテレビによる東日本大震災の被災地支援プロジェクトから生まれたアニメーション映画「フラ・フラダンス」(水島精二総監督)が公開中だ。
スパリゾートハワイアンズを舞台に、5人の新人フラガールたちが、失敗を重ねながらも少しずつ成長していくさまと、その絆を描いた物語。
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12月3日公開の映画「フラ・フラダンス」の試写会にフラガールとともにゲスト出演した富田望生さん=福島県いわき市のスパリゾートハワイアンズ(鈴木健児撮影)
新人フラガールの声を演じた、いわき市出身の俳優、富田望生(みう)さんは「フラガールは小さいころからの憧れ。震災から10年たった故郷で、こんなにも輝いている場所があることをぜひ見てほしい」と語った。