金銅製の馬具など豪華な副葬品が出土した大阪府羽曳野市の峯ケ塚(みねがづか)古墳(5世紀末、前方後円墳)で、前方部と後円部の境にある造り出し部が長さ20メートル、幅6メートル以上もあることが分かった。同市教育委員会が明らかにした。
市教委の米田拓海主事は「古墳の規模などから天皇に次ぐ人物の墓とみられており、被葬者にふさわしい規模の造り出し部が設けられたのでは」と話している。
市教委によると、造り出し部は祭祀(さいし)の場だったとされ、埴輪(はにわ)も置かれていたと考えられている。周濠(しゅうごう)跡からは墳丘から転落した葺石(ふきいし)や朝顔形埴輪、ほぼ全体が残った円筒形埴輪(高さ90センチ)も見つかったが、形象埴輪は出土しなかった。
峯ケ塚古墳は、世界遺産、百舌鳥(もず)・古市古墳群の構成資産の一つ。全長96メートルで二重の周濠があった。主体部は竪穴式石室で阿蘇産の凝灰岩で作られた舟形石棺が安置されていたという。現地見学会は11日午前10時~午後3時。