砂漠に都市を整備し、世界中から資金や技術を呼び寄せて発展する。それは万博が開催されているアラブ首長国連邦(UAE)のドバイの歴史そのものだ。しかし現実には「トライ・アンド・エラー(挑戦と失敗)の繰り返し」(安藤雅巳・日本貿易振興機構ドバイ事務所長)だった。
ペルシャ湾に面した砂漠の小さな漁村だったドバイは、英国の保護のもとインドとを結ぶ貿易港として栄えていく。本格的な開発は1960年代に始まり、大型港湾を建設して貿易や物流のハブとして発展。中東でも石油資源に恵まれないことから、85年には法人税などが免除される特区「ジュベル・アリー・フリーゾーン」を設立した。
90年に湾岸危機が勃発すると、ドバイの安全性が注目され進出企業が増加。特区にはトップクラスの企業を含む8千社以上が進出するまでになった。2001年の米同時多発テロ後は米国や英国から引き揚げられた中東の余剰オイルマネーが一気に流入した。
安藤氏は「(基幹産業がない)ドバイは、常に開発を進めることで人と金を集めてきた」と指摘するが、08年のリーマン・ショックで暗転。政府系企業の財務悪化に始まる世界的な金融危機「ドバイ・ショック」が発生し、自動車レース「F1」のテーマパークなど多くの開発計画が中止を余儀なくされた。
そんな歴史をたどるドバイにとって、万博は新たなトライとなる。「数年前まで砂漠」(地元タクシー運転手)だったところに地下鉄が中心部から延伸され、まばゆい照明で近未来をイメージさせる新駅が完成。会場周辺にはマンション群も建設され、すでに多くの住民が生活を始めている。