900人が居住 失われた大伽藍 大安寺がCG復元

CGで古代の大安寺の大伽藍がよみがえった(大安寺提供)
CGで古代の大安寺の大伽藍がよみがえった(大安寺提供)

東大寺や興福寺などと並び南都七大寺に位置付けられる奈良市の大安(だいあん)寺で、隆盛を誇った奈良時代の様子をCG(コンピューターグラフィックス)で復元するプロジェクトが進んでいる。1300年前、国内外から800人を超える僧侶が仏教を学んでいた大安寺。境内は今の約25倍の広さで、塔のほか、約100棟のお堂や住居が立ち並んでいたとされる。最盛期の大安寺は一体どんな姿だったのか―。

往時の寺、CGで復元

現在の大安寺。隆盛を極めた奈良時代より規模は縮小している=奈良市
現在の大安寺。隆盛を極めた奈良時代より規模は縮小している=奈良市

奈良時代に約25万平方メートルの境内に887人の僧侶が出入りしていた大安寺は、度重なる災禍で衰退し、現在は約1万平方メートルに縮小した。

1月23日の恒例行事「光仁会・笹酒祭り」はにぎわうが、普段は静かで、かつて大伽藍(がらん)が広がっていたとは考え難い。だが、寺南側に広がる旧境内には七重の高層建築だったという東西塔の跡が残り、古代は確かに大寺院だったことを伝えている。

「壮大だった往時の姿を伝えたい」。寺はこう考えたが、周囲には住宅が立ち並び、実際に復元することは不可能。このため奈良文化財研究所(奈良市)の監修によりCGによる復元に挑戦することに。

「一部だけを再建するのとは違い、CGだと寺の全体像が分かる。当時の文化の粋を尽くした伽藍を再現したい」と同寺の河野良文(りょうぶん)貫主は意気込む。

インドから直輸入の仏教

CGで2基の七重塔も復元された(大安寺提供)
CGで2基の七重塔も復元された(大安寺提供)
大安寺の東塔跡。七重塔だったとされる=奈良市
大安寺の東塔跡。七重塔だったとされる=奈良市

大安寺は、平城京遷都に伴い、藤原京の「大官大寺」を現在の地に移転して建立された。中国・唐から帰った僧、道慈(どうじ)が伽藍を整備したという。

その姿は広大な境内に幅約35メートルの金堂やさらに広い講堂などが並び、高さ約70メートルに及ぶ七重の塔が東西に建つという壮麗さだった。金堂の本尊・釈迦如来像など数多くの仏像が安置され、仏教の研究に欠かせない膨大な数の経典がそろっていたとされる。

「特に釈迦如来は有名で、単なる仏像ではなく、インドから渡ってきた生身のお釈迦様として信仰された」と河野貫主。

さらにインド出身で東大寺大仏開眼の大導師を務めた僧、菩提僊那(ぼだいせんな)も寺の境内に住んでおり、「ここには中国、朝鮮を経ず、インドから直輸入した仏教があった」(河野貫主)という。

800人超が居住か

現在の大安寺の南門=奈良市
現在の大安寺の南門=奈良市

大安寺の資財帳(財産目録)によると、当時の僧侶の数は887人。

これだけ多くの僧侶が大規模な僧坊(部屋)で寝起きして、講堂に次ぐ大きさだったという食堂で食事をし、修行や研究に没頭したことになる。中には菩提僊那をはじめ、ベトナムから訪れ現地の音楽を伝えた仏哲(ぶってつ)ら海外の僧も住んでおり、国際色が豊かだったという。

河野貫主は、「僧侶以外も含めると出入りした人は2千人ほどにはなったのでは」と推測。「当時の僧侶らがどんな生活をして、どんな思いを抱いていたのか、興味深い。エリートもいた一方、修行についていけない僧侶もいたのでは」と想像する。

ただ、当時の伽藍がすべて失われた大安寺は謎のベールに包まれている。

調査、研究に取り組んだ森下恵介・元奈良市埋蔵文化財調査センター所長は「今後は食堂の位置や金堂の構造などの解明が課題だ。寺の格は高かったが、分からない部分が多い」と説明する。

大安寺旧境内から出土した「陶枕」とみられる破片
大安寺旧境内から出土した「陶枕」とみられる破片

調査では、「陶枕(とうちん)」と呼ばれる色鮮やかな陶器製の枕とみられる破片も多く出土した。実際の用途は謎のままだが、森下氏は「堂内を飾るタイル代わりに使われたことも考えられる」と指摘。今では想像しにくい華麗な伽藍だったと推測されるという。

CGによる復元の制作費用は総額約3千万円で、寺の予算のほか、クラウドファンディングや文化庁の補助でまかなう。

CGは来年3月末ごろの完成を目指し、奈良国立博物館(奈良市)で4月23日~6月19日に開催の特別展「大安寺のすべて」や寺で公開する予定だ。

河野貫主は「かつて隆盛を誇った寺の様子を多くの人に知ってもらいたい」と話している。(岩口利一)

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