来年2月の北京冬季五輪は新疆ウイグル自治区における人権侵害や香港での民主派弾圧への批判が高まるなか開催されようとしている。米国のバイデン大統領は北京に政府使節団を派遣しない「外交的ボイコット」の検討に入った。
米国内には、選手まで参加しない「完全ボイコット論」を主張する強硬派もいる。ヒトラーが独裁を強固にするために利用した1936年ベルリン大会を持ち出し、その再現を許してはならないという意見さえ聞かれる。
五輪史研究家、ジュールズ・ボイコフ氏の「オリンピック秘史」(早川書房)をひもとくと、ヒトラーは当初、五輪招致に消極的だった。しかし、宣伝大臣のゲッベルスに「国威発揚の絶好のチャンス」と説得され、ドイツ人の優秀さを世界に誇示しようと考えを変えたという。
ギリシャの古代オリンピックの聖地、ヘラ神殿前で太陽から採火した火を開催都市まで運ぶ聖火リレーを史上初めて行い、われわれこそが古代ギリシャ人の後継者であるとアピールした。計算し尽くされた演出によって、大会は盛り上がり、ナチス政権の狙い通りとなる。米紙ニューヨーク・タイムズには「帝国に輝かしい誇りをもたらす」という見出しの絶賛記事まで掲載された。
「ドイツは信じがたいほど幸福で豊かな国である。ヒトラーは今日の世界において屈指の政治的指導者だ」
これが五輪の持つ魔力であることを忘れてはならない。
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2008年の北京夏季五輪はチベット弾圧などを理由にボイコットを求める声がありながらブッシュ米大統領(当時)は国内の批判を押し切り出席した。開会式には各国首脳がズラリと顔をそろえ、中国にとっては自らの正統性を内外に示す極めて政治的なセレモニーになった。その14年後、同じ北京で今度は冬季大会を開き、より強大となった力を世界に見せつけようとしている。
米共和党のロムニー上院議員は今年3月、ニューヨーク・タイムズに完全ボイコットは逆効果という分析を寄稿した。
「1980年モスクワ五輪は選手団を送らなかったことで、ソ連にプロパガンダの勝利をもたらしてしまった。権威主義国家のオリンピックは改革のテコではなく、政治的宣伝の道具に利用しようとする」
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人権団体は既に一の矢、二の矢を放つ。英フィナンシャル・タイムズによれば、国際オリンピック委員会(IOC)の主要スポンサーのコカ・コーラやVISAなどに北京五輪への対処についての質問書を送り、一部の放送局にはテレビ放映権契約を破棄するよう求めるなどIOCの収入源の2本柱に揺さぶりをかけている。
では、日本は難攻不落の万里の長城にどう立ち向かうのか。①米国追随②室伏スポーツ庁長官派遣③閣僚派遣―などが考えられる。政府は「それぞれの立場がある」「まだ方針は何も決まっていない」と反応が鈍い。対中関係悪化のリスク回避を望む経済界、予定通り行われることを願うスポーツ界も沈黙している。
様子見している時ではない。憲章を持ち出すまでもなく、五輪は国威発揚のために開催されるのではなく、人権重視は根本原則である。北京五輪への対応に向けた議論を活発に行い、自らの判断を下さなければならない。開幕まであと2カ月、カウントダウンが始まろうとしている。