優勝マジックを「1」とした近鉄は10月14日、ダイエーと戦った。平成元年シーズンの129試合目である。
10月5日、佐伯勇オーナーが「肝不全」で逝去した。前年の10・19の悲劇の試合後、佐伯オーナーは悔しさに唇を震わせてこういった。
「勝負事は勝たなければいかん。それでも勝てんようやったら、身売りする」
選手たちはオーナーの熱い「心」を胸に刻んで戦った。
◇10月14日 藤井寺球場
ダイエー 000 000 110=2
近 鉄 100 310 00×=5
(勝)加藤哲7勝2敗1S 〔敗〕村田6勝8敗 (S)阿波野19勝8敗1S
(本)リベラ(25)(村田)
試合は一回、鈴木の中犠飛で先制した近鉄が主導権を握った。四回には山下、新井の適時打で3点を加え、五回にはリベラの25号ホーマーで5―0。投げては先発の加藤哲が六回までノーヒットに抑えた。その加藤哲が七回に1点を返され、なおも1死一、二塁。ここで仰木監督は阿波野をマウンドに送った。
スタンドがどよめいた。阿波野はあの「10・19」で1点リードの八回、ロッテ・高沢に痛恨の同点ホーマーを打たれた悲劇のヒーロー。
思い起こせば桜丘高(神奈川)時代も甲子園出場の夢を果たせず、亜細亜大で優勝経験はたった1度。「オレの運命とはこうなのかな…」と涙した。
そんな阿波野を仰木監督はあえて投入した。ピンチを切り抜けた。そして九回、最後の打者・伊藤を三振に―。マウンドに駆け寄った捕手の山下が阿波野の細い体を担ぎ上げた。
「苦しかった。でも最後にいい結果を残せた…。これでアマ時代からのボクの野球人生も変わるかもしれませんね」
9年ぶり3度目のリーグ優勝。仰木監督は7度宙を舞った。
「昨年の10・19以来、私の頭から〝優勝〟の2文字が消えることはなかった。よほどのチームでない限り、この奇跡は起こせない。すばらしいチームです」
涙を流しながら仰木監督はスタンドの大歓声に応えた。そして、最後にこう締めくくった。
「ウチがこんなに強かったとは…。いま、みんなに言いたい。大いに胸を張れ!」(敬称略)