文芸時評

12月号 「上演している」事実 早稲田大学教授・石原千秋

第65回群像新人評論賞は今回をもっていったん休止するという。受賞作は渡辺健一郎「演劇教育の時代」。教育は演劇だと言いたいようだが、フーコーを批判し、ドゥルーズを批判し、プラトンを批判し、ジャック・ランシエールを批判するなどなど、多くのカタカナの名前を批判するために呼び出すその手腕は実にみごとだ。しかし、これが結論なのだ。「それ自体では完全に無根拠で無目的な演劇、しかしそうであるがゆえにいかようにでも演出可能な演劇、不和を絶えず顕現させる演劇、そのような演劇としての教育の可能性を」。空(むな)しい言葉の羅列としか思えない。評論はできもしないことを基準に現実を批判するジャンルなのだろうか。そうではない。「『矛盾』という観念自体が、既に知の体系の中から登場したものにすぎません」とある。この論法に従うなら、「完全に無根拠で無目的」という観念自体が、既に知の体系の中から登場したものにすぎません、となる。こう感じたのだ。この結論には既視感があると。

ただ、「上演というのは(中略)上演しているという事実を上演しているのです」という一節には深く頷(うなず)いた。つい最近、ほぼ1年ぶりに芝居を観(み)たからだ。ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出「イモンドの勝負」(本多劇場)。観るまでは「上演しているという事実」を受け入れられるか不安だった。それに芝居がまさに「上演しているという事実を上演している」ような芝居だったから。だから、この一節だけで僕は十分嬉しかった。

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