文芸時評

12月号 「上演している」事実 早稲田大学教授・石原千秋

早稲田大学教授の石原千秋さん
早稲田大学教授の石原千秋さん

昨年度、僕は早稲田大学から特別研究期間(サバチカル)をもらっていて、大学院と学部のゼミ以外の授業とほぼすべての校務から解放されていたから、オンライン授業はやらなかった。その準備に忙殺された同僚は殺気立っていた。嵐のような1年間を体験せずにすんだのは幸いだったが、復帰したらすっかり時代遅れになっていた。だから気づいたこともある。

今年、学部はすべて対面授業にした。やはり学生の顔が見えるのは嬉(うれ)しい。1年生の「日本文学基礎演習」という科目では、これまで見たこともないレポートが出てきた。半期で3回レポートを課すので、初回は1年生の様子を知りたいだけの小手試しであって学年点には関係しないと伝えてある。手を抜いたというのではなく、形式がおかしいのだ。それで気づいた。これまでの1年生はまったく情報がない中で書いていたのではなかったのだと。サークルの先輩や友人から「石原の授業は厳しいからここに気をつけろ」と具体的に情報を得ていたのだろう。その縦と横のつながりが消えてしまったのだ。こうも考えた。旧制高等学校の裏のカリキュラムほどではないにせよ、僕らの授業はこうした学生間の情報のやりとりに見えない形で支えられていたのだと。それに気づいてからは、これまでは当たり前と思っていたことも丁寧に伝えるようにしている。こういう風にして、何かが少しずつ変わっていくのだろう。

ブレイディみかこと武田砂鉄の対談「手強(てごわ)い存在になるために」(すばる)。ブレイディみかこがこう言っている。「フェミニズム+ナショナリズムで『フェモナショナリズム』という言葉」がある。一見リベラルでビジネスもうまくやっているイメージでフェミニスト的なことを言うのだが、その実はたとえばイスラム教徒には排外的。「共通の敵をつくって攻撃することで人気を集めていくポピュリズムの王道」だと言うのだ。日本にもこういう政治家が出てきている。参考になることも多いが、日本批判の基準は、イギリスではこうだから。イギリスってそんなにすばらしい国なのかな。明治以来の知的輸入主義と何も変わっていない。カタカナばかり使っていると批判されてきた身だが、別の思考はないのかと言いたくもなる。

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