書評

『闇祓』辻村深月著 現代社会の病を名付ける

現代作家たちがこのところ、こぞって描写している感情がある。「よかれと思って」だ。その感情=思考法は、善意と悪意が入り交じっているからタチが悪い。投げかけられる側の精神状態によるところも大きいが、「大きなお世話」の一語で退けることが容易ではないのだ。

辻村深月は「初の本格ホラーミステリ長編」(帯の文言より)と銘打たれた『闇祓(やみはら)』において、「よかれと思って」に代表される自己正当化を隠れみのにしながら、「闇」を他人に押し付ける行為はハラスメントの一種であると看破した。著者の造語が素晴らしい。「闇ハラ」だ。

第一章の主人公は、クラス委員長を務める高校2年生の女子。ある日、転校してきた男子からいきなり「今日、家に行っていい?」と告げられる。以降も、自分との距離を詰めようとする異様なアピールが続く。怖い。逃れたい。その先で、意外なかたちで「闇ハラ」があらわなものとなる。ホラーとミステリーの有機的な融合を、第一章から存分に味わうことができる。

第二章は団地、第三章は会社、第四章は小学校、最終章は家族。全五章構成で、章ごとに「闇ハラ」が発生するコミュニティーが変わる。章ごとにマウンティング、パワハラ、正論原理主義…と現代社会のコミュニケーションに宿る病が取り上げられており、読みながら胃がキリキリし通しだ。ホラー映画のような分かりやすいモンスターは登場しない。出てくる人たちはみな普通の人だからこそ、怖い。

本作は「闇ハラ」の被害者も、加害者となり得る可能性を指摘する。「よかれと思って」という価値判断は、個人の自由意思で行っているとはかぎらない点に注目したい。人は、自分が接続しているコミュニティーの価値観に否応(いやおう)なく影響される。その結果、以前の自分からは考えられないような「正しさ」を主張したり、すんなり受け入れたりすることがある。本作が描く恐怖の根幹は、「人は無意識のうちに、他者の価値観に染まってしまう」という現実だ。

小説に書かれた全ての出来事が決して人ごととは思えない…いや、思えなくなるような演出が、十重二十重に張り巡らされている。人間ドラマ作家・辻村深月の「裏ベスト」だ。(角川書店・1870円)

評・吉田大助(書評家)