天下の眺望 飯盛城にあり 大阪・生駒山地 三好政権の「首都」

大阪府大東市役所前にある三好長慶像
大阪府大東市役所前にある三好長慶像

生駒山地の北西、飯盛山(いいもりやま)(314メートル)にある中世の山城「飯盛城跡」が10月、国史跡に指定された。大阪府の大東、四條畷両市による調査で、斜面に石垣をめぐらせた西日本有数の巨大山城と判明。織田信長に先駆けて畿内を統治した戦国大名、三好長慶(ながよし)(1522~64年)の居城として知られており、専門家らは「京都、大坂、堺など畿内全体を俯瞰(ふかん)できる三好政権の『首都』。新しい時代の人や物が集まる政治・文化の中心として機能した」と指摘している。

ハイキング名所

「30分もあれば山頂まで行けますよ」

飯盛山西麓の北條神社(大東市)近くでお年寄りが教えてくれたコースは思いのほか急勾配だった。

「戦なら攻め込む前に疲れ、谷に蹴落とされる」。額の汗をぬぐいながらそんなことを考えた。

飯盛城は1530年、河内守護代の木沢長政の居城として文献に登場する。阿波(徳島県)出身の長慶は1560年に芥川山城(あくたがわさんじょう)(大阪府高槻市)から移って3人目の城主となった。長慶は4年後に亡くなり、城郭機能もしばらくして失われたが、石垣などが良好な状態で残っている。

大東市と四條畷市はハイキングコースとして親しまれる飯盛城跡を国史跡にしようと、平成28年から3年にわたる調査を実施した。

近代城郭の源流

飯盛山は木々が生い茂って立ち入れない場所が多い。このため、調査は航空機からレーザーで地形を把握した上、現地で遺構の発掘や測量を行い、分布を確認する方法がとられた。

調査で70回以上、山に登ったという大東市生涯学習課の学芸員、李聖子さんは「石垣を重点的に調べ始めた29年から、巨大な山城だと実感した。城域や堀切などの防御施設はレーザー測量でかなり正確に把握できた」と話す。

東西約400メートル、南北約700メートル。石垣は勾配の緩い東側を中心に城の全域に分布。北エリアは防御施設、南エリアは居住空間とみられ、大規模な造成工事で尾根に兵が駐屯する曲輪(くるわ)をつくったことが判明した。

建物の柱を据える礎石や瓦も確認された。高石垣や天守を持つ安土城(1576年着工)などの「織豊(しょくほう)系城郭」より先に、石垣・礎石建物・瓦の3要素を取り入れた「近代城郭の源流」ともいえる貴重な山城であることも分かった。

「勢力範囲」一望

長慶は主君であり父のかたきでもあった細川晴元の政権を崩壊させ、当時の「天下」とされた京都と五畿内(山城、大和、摂津、河内、和泉)、四国の一部を統治した。室町幕府将軍の足利義輝を追放して政治の実権を握ったことから「織田信長に先駆けた天下人」と評されている。

42歳で没した長慶の遺体は、北エリアにある「御体塚郭(ごたいづかかく)」に仮埋葬され、3年間、秘密にされたという。

四條畷市教委学芸員の村上始さんは「長慶が飯盛城で政権を担ったのは4年余りだが、数々の文献に加え、こうした伝承が残るのも政権の力の大きさを物語っている」と話す。

飯盛山からは比叡山、京都盆地、北摂の山々、六甲山地、大阪平野、淡路島、和泉山脈など「長慶の勢力範囲」が一望できる。

大阪市立大の仁木宏教授(日本中世史)は「畿内支配のための城だったことは眺望が象徴している。長慶は飯盛城に城下町をつくらず政権の『首都』として京都や大坂、堺などに都市機能を分散させて『首都圏』を掌握した」と解説する。

そのカギとなったのが流通と交通。飯盛城は水陸交通路の要衝だったという。

飯盛山の西側には京都と高野山を結ぶ東高野街道(ひがしこうやかいどう)、北側には大和(奈良県)と河内を結ぶ清滝街道など東西南北を結ぶ幹線道があった。現在はイメージしにくいが、当時の河内は名前が示すように大和川などからいくつもの分流が注ぎ込む湿地帯で、深野池(ふこのいけ)や新開(しんが)池(いけ)からつながる水路で、国際貿易港として栄えた堺や兵庫、大坂から国内外の物資を調達できたと考えられている。

また、長慶はイエズス会の宣教師から庇護(ひご)を求められ、キリスト教の布教を許した。飯盛城で家臣73人に洗礼を受けさせたほか、領民を「河内キリシタン」と呼ばれる勢力にまとめて城内にも住まわせ、当時のヨーロッパの地図には飯盛の地名が記された。

茶の湯や連歌を好む文化人でもあり、発掘調査では茶道具が出土したほか、一流の連歌師を城に招いて連歌会を催した記録もある。

仁木教授は「長慶は新しい時代の中で成長する新興の武士や商人たちの志向をつかんで歴史を次の段階に進めた。国史跡となったのを機に、飯盛城が果たした社会的な役割や長慶の先進性に目を向けた活用や取り組みを進めていくべきだろう」と話している。

史跡指定 記念イベント続々

地元では飯盛城の国史跡指定に関連するイベントがめじろ押しだ。

大東市で3月に開催される「三好長慶公武者行列in大東」は新型コロナの影響で2年連続の中止となったが、大東・三好長慶会代表の河村共之さん(76)は「飯盛城跡が国史跡となり、来年は長慶公の生誕500年なのでぜひ開催したい」と意気込む。

また、大東市は観光客誘致のため、飯盛城の城郭をデジタル技術で再現し、現地を散策できるスマホコンテンツを作成中。現地にはバイオトイレや駐車場などを整備する。

四條畷市立歴史民俗資料館では12月12日まで三好長慶の軌跡を考古学でたどる特別展を開催中だ。

大東市と四條畷市は12月19日に史跡記念の現地見学会を開催。滋賀県立大の中井均名誉教授の解説映像を見た後、両市の学芸員が城跡を案内する。大東市生涯学習課への事前申し込みが必要。多数の場合は抽選。(守田順一)