86歳で博士号「学びは喜び」 5年かけ論文、出版目指す

86歳で博士号を取得した川村邦夫さん=大阪市住吉区の大阪市立大学(南雲都撮影)
86歳で博士号を取得した川村邦夫さん=大阪市住吉区の大阪市立大学(南雲都撮影)

86歳の男性が今秋、大学院を修了し、博士号を取得した。戦時下に幼少期を過ごした旧満州の研究に取り組み、遠い故郷への思いを胸に、5年がかりで論文をまとめ上げた。「学ぶことは楽しい」。今後、論文の出版を目指すといい、その情熱は衰えを知らない。

「年齢を忘れてゼミ生の皆さんと活発に議論し、非常に楽しい時間だった」

今月19日、大阪市立大杉本キャンパス。大学院創造都市研究科を修了し、博士号を受け取った川村邦夫さん(86)=奈良市=は80代で過ごしたキャンパスライフをそう振り返った。

旧内務省に勤めていた祖父が、1904(明治37)年に勃発した日露戦争に際し、鉄道大隊として大陸に渡った。川村さんは昭和10年、当時の満州の奉天(現在の瀋陽)で生まれ、終戦後の21年に岐阜県に引き揚げるまで約10年を現地で過ごした。

戦後は東京大薬学部を卒業し、薬学の道を歩んだ。大手製薬会社に勤務しながら、51年に東大で薬学の博士号を取得。国内外の大学で教壇に立った。中国の薬科大の客員教授を務めた際には、満州で身につけた中国語が役立ったという。

平成28年、80歳で大阪市立大大学院創造都市研究科に入学。新たな研究への原動力となったのは、記憶に刻まれた故郷の光景だ。満州では南満州鉄道(満鉄)が設立された1906(明治39)年以降、社員やその家族が住んだ主要駅周辺の「付属地」と呼ばれる地域に日本人コミュニティーが成立。その街並みは「新しい都市計画で作られ、コンクリートやレンガの建物が並んでいた。規模は小さいが、東京やパリよりも優れた世界最先端の街だった」(川村さん)。

博士論文のテーマは「日本人初等・中等学校生が学んだ中国語とその背景に関する研究」。自らも受けた日本人への中国語教育を軸に、満州の歴史や時代背景、当時の国際情勢などを多角的に分析した。

指導教員を務めた有賀敏之教授(60)は「当時を知る世代が減っていく中で自らの経験を基にした論文は貴重だ」と評価。「私の親と同世代だが、卓越したポテンシャルがあった。実際に大学院に通って博士号を取得したのは生涯学習の模範だ」とたたえた。

今月19日、学位記を受け取った川村さんは、歌人・石川啄木が故郷への思いを詠んだ短歌の一節を引用し、「ふるさとの訛(なまり)なつかし…、という思いが研究への原動力になったのかもしれない。大学院では本当の意味での学びを得ることができた」と振り返った。

今後は論文に加筆して出版を目指すといい、「自分が年を取っている感覚はあまりない。100メートルを走ったら若い人に劣るが、頭はそれほど衰えていない。学ぶことは楽しいし、喜びがある」と笑顔をみせた。(鈴木俊輔)