新選組外伝~木村幸比古筆(8)

経営者なら必ず知っておきたい局中法度

士道に背くことは、最も重罪であった。田中知は、愛人の取り合いの末に斬り合いとなり不覚にも斬られて負傷した。施山多喜人は人妻との不倫が発覚。加納惣三郎は辻斬り強盗を行った。いずれも士道に恥ずべき行為であった。

隊の改革を土方らに求めた幹部の山南敬助は、脱走。隊を無断で抜け出し職務放棄したとして、土方の命で沖田総司の介錯で切腹させられた。

新選組に無断でたびたび金策した川島勝司や、会計不備で近藤にぬれぎぬをきせられた河合耆三郎は、弁解も聞き入れられず詰め腹を切らされた。河合の親族は、腹いせに壬生寺に供養塔を建立した。

また、芹沢一派は、永倉新八の手記でも「喧嘩禁止の大宴会・芹沢隊長酒乱のこと」と日常茶飯事の横暴な振る舞いで、京都守護職からの厳命で土方らが粛清を決行。芹沢は自ら作成した掟で皮肉にも処罰された。

伊東甲子太郎一派は、有能な隊士を引き連れ離脱し、高台寺党という分派を結成した。新選組の守秘義務が守れないとし、近藤は伊東一派の暗殺を強行した。

掟破りを許した例もある。佐久間象山の息子で暗殺された父のあだ討ちのため会津藩、山本覚馬の勧めで客分扱いで入隊した恪二郎は、三浦啓之助と変名させたが、素行が悪く隊士と喧嘩が絶えなかった。それでも勝海舟の姻戚でもあり、土方が鳥羽伏見の戦いの前に、戦死させてはまずいと離脱させた。

幕末の諸隊の中でも新選組の局中法度ほどの厳しい隊規は見受けられない。幕末最強の軍団とよばれたゆえんである。衰退する幕府に対し、隊内での幹部批判が派閥を生み、組織の弱体化につながるとして、ささいな批判的なことでも掟を持ち出されて詰め腹を切らされた。勤王派の志士との接触も厳しく制限された。

武家の家訓、遺訓、商家の家憲…。組織を維持するためには、必ず局中法度のような掟が存在する。先人が歩んだ道のりは決して平坦(へいたん)ではなかったが、老舗企業は生き延びてきた。日本の創業100年以上の企業は3万3076社と世界一。経営者が社員一丸となって社訓を守った結果である。現代人が新選組のぶれない生きざまに、共感をおぼえるのは、そのあたりにあるかもしれない。(霊山歴史館学術アドバイザー 木村幸比古)

きむら・さちひこ 昭和23年生まれ。国学院大卒業後、明治維新総合博物館の霊山歴史館(京都市東山区)で学芸課長、副館長などを歴任し、令和2年秋から現職。産経新聞で平成25~30年に「幕末維新伝」を連載したほか、著書多数。歴史番組での時代考証・監修も務める。