勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(357)

門田争奪戦 近鉄入り確定に「奇々怪々」

近鉄かオリックスか。激しい争奪戦の渦中にいた門田=昭和63年10月30日
近鉄かオリックスか。激しい争奪戦の渦中にいた門田=昭和63年10月30日

■勇者の物語(356)

さて「門田争奪戦」の方はどうなったのだろうか。

「彼はウチの沿線(近鉄奈良線学園前駅)に住んでるからね」と前田球団代表が胸を張った通り近鉄が先行、いや、当時の新聞を見れば『近鉄入り確定』と報じているスポーツ紙もあった。

11月6日、近鉄の仰木監督と前田代表が福岡入り。午後6時過ぎから市内中洲の料亭『仲柳』でダイエーとの会合をもった。まず、ダイエー側から、金銭ではなくあくまで交換トレードを要望。近鉄もこれを了承した。そして交換要員の人選が行われた。

ダイエーは村上、住友、安達ら3人の名前を挙げたが、仰木監督が「村上は出せない」と拒否。逆に近鉄は加藤哲や谷宏、栗橋、淡口らの名前を示した。結局この日は結論がでず、ダイエーが希望した選手が出せるのかどうか、近鉄が再度検討する―ということで交渉は終わった。

7日の朝に秋季キャンプ地、宮崎・日向に戻った近鉄首脳はすぐに再検討。「吉田剛内野手(21)、加藤哲郎投手(24)プラス5000万円で」とダイエーに回答した。

ところが、この動きに「奇々怪々の話や」と声をあげたのが阪急、いや、オリックスの上田監督だった。

上田監督がホークスの杉浦監督と門田のトレードについて初めて話し合ったのは10月31日だったという。

「向こうから電話してきて〝A選手とB選手が欲しい〟というので、ワシも〝いいでしょう〟と答えた。普通のトレードならこれで決まりや」

数日後、また杉浦監督から電話がかかってきた。このときは、門田の年俸や性格について「彼は若い選手たちの前で〝門田を見習え〟というと嫌がる照れ屋なんです」とアドバイスを受けたという。

そして福岡で近鉄との交渉が行われた6日の夜にも電話が入り、「前に言った2人にもう1人、C選手を加えてほしい」というので上田監督は即答で「了承した」と答えたという。

「そのとき、杉浦さんは〝ありがとう〟とまでいうたんやで。これで近鉄に決まったら〝奇々怪々な話〟としかいいようがないやろ」

門田の運命やいかに…である。(敬称略)

■勇者の物語(358)