日本統治下の台湾と朝鮮を比べると、面積や人口規模は朝鮮の方が、かなり大きいことが分かる(表参照)。総督府のトップである総督のランクも、朝鮮総督が上だった。
朝鮮総督は、すべて軍人出身で、陸・海軍の「大将」から就任。一方、台湾総督には、乃木希典(のぎ・まれすけ)(3代)や明石元二郎(あかし・もとじろう)(7代)ら「中将」で就任した人もいる。8代の田健治郎(でん・けんじろう)以降は(16代まで)「文官」出身者が総督に就いた。
ちなみに、総督を経て首相になったのは、朝鮮が初代の寺内正毅(てらうち・まさたけ)や斎藤實(さいとう・まこと)(3、5代)ら3人。最後の朝鮮総督となった阿部信行(のぶゆき)(9代)は、逆に首相経験後、総督を務めた。台湾総督では、2代目ながら、ほとんど台湾にいなかった桂太郎のみ、である。法的地位に関しても、朝鮮総督は台湾総督と比べて、より内地(日本)政府のコントロールを受けにくい独立性を担保されていた。
朝鮮総督の優越は規模の大小もさることながら、日本の仮想敵国であるロシア(ソ連)を、〝日本の生命線〟たる満州を挟んでにらむ朝鮮半島を、安全保障政策上、より重視していたからであろう。