鈴木貫太郎記念館の再開「億単位の費用」 千葉

令和元年東日本台風で被災して以来、休館が続く鈴木貫太郎記念館=野田市(小野晋史撮影)
令和元年東日本台風で被災して以来、休館が続く鈴木貫太郎記念館=野田市(小野晋史撮影)

終戦時の首相として国難と対峙(たいじ)した鈴木貫太郎(1868~1948年)の遺品などを集めた千葉県野田市関宿町の「鈴木貫太郎記念館」が長期休館している。令和元年東日本台風(一昨年10月の台風19号)で被災後、耐震性の問題が分かったためだ。熊谷俊人知事が今月、記念館再開へ支援を表明したが、野田市関係者によると、億単位の費用が必要という。4年後には戦後80年の大きな節目を迎える。それまでの再開は不透明だ。(小野晋史)

記念館は鈴木の死後、晩年を過ごした自宅の隣で昭和41年に正式に開館した。鈴木直筆の掛け軸や海軍大将時代の礼服、ポツダム宣言の受諾で首相を退任したときの辞令をはじめ、昭和天皇が幼少期に着用した衣服や、白川一郎画伯が描いた「最後の御前会議」の実物など約40点を展示。展示していない品々も合わせた収蔵品は約500点に上る。

東日本台風の大雨で天井は雨漏りし、記念館の展示室が水浸しになった。幸い展示品への被害は軽微で再開に向けて準備していた最中、建物の耐震診断で強度不足が判明した。記念館を管理する野田市は、現在の建物での再開は困難と判断している。

「(鈴木は)日本が危機的な状況にある中で何とか終戦にまでこぎつけた、あの時代を象徴する一人。多くの方に知っていただくべき方だ」。8日に野田市を視察した熊谷知事は記念館の存在意義をそう強調し、「市の希望がかなえられるようにサポートしていきたい」と約束した。

そこには「予算」という大きな壁が立ちはだかる。

野田市の最北端に位置する記念館周辺は利根川と江戸川に挟まれ、洪水のハザードマップでは深さ5メートル以上の浸水に見舞われる可能性がある。東日本台風では川崎市の博物館兼美術館の収蔵庫が浸水し、壊滅的な被害を受けた。その教訓として記念館にも収蔵品を守るための厳重な防水対策が必要だが、野田市関係者は「億単位の金がかかる」と打ち明ける。