ビブリオエッセー

人間への揺るぎない愛と信頼 「天、共に在り―アフガニスタン三十年の闘い」中村哲(NHK出版)

「もう病気治療どころではない」。2000年春、中央アジア全体を襲った未曽有の大かんばつ。その惨状を前に、病気のほとんどは十分な食糧、清潔な飲料水さえあれば防げるという確信から命の水を求め、井戸掘り、さらに用水路の建設に着手した医師、中村哲さん。アフガン人の命がかかった大工事だった。

中村さんが襲撃され、命を落としてから2年になる。今年はタリバンがカブールを制圧し、暫定政権下での政情不安と市民生活の窮乏が報道されてきた。改めて開いたこの本の一節が心から離れない。「『信頼』は一朝にして築かれるものではない。利害を超え、忍耐を重ね、裏切られても裏切り返さない誠実さこそが、人々の心に触れる」。人の心が動いて初めて安全が確保され、平和への道が開けるのだと。

病弱で昆虫好きの少年が進路を迷った末、医学の道を選び、やがてハンセン病治療のためパキスタンへ赴任することになった。アフガン戦争が凄惨を極めていたころだ。多くの難民を目の当たりにした中村さんらはアフガニスタン国内にも診療所を開設する。

タリバン政権下の90年代、その後の米同時多発テロをきっかけに政権は崩壊。大かんばつの被害を見てきた中村さんは「百の診療所より一本の用水路」だと活動を変更する。

そのエネルギーに圧倒された。そこにはすべての出会いが関わっていたという。祖母や父からの厳しいしつけ、戦争の意味を問い続けた伯父の作家、火野葦平からの影響、そしてミッションスクール時代に知った内村鑑三の思想。人間への愛と信頼は揺るぎないものだった。

「武力行使によって守られるものとは何か、そして本当に守るべきものとは何か」。この問いは今も私たちに投げかけられている。

兵庫県川西市 粕谷陽子(73)

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