話の肖像画

渡辺元智(19)選手と向き合い実力を引き出す

夏の全国大会決勝で登板した川戸浩投手=昭和55年8月、甲子園球場
夏の全国大会決勝で登板した川戸浩投手=昭和55年8月、甲子園球場

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《愛甲猛投手が最上級生となった昭和55年春。もうひとりのエース、川戸浩投手が「少し考えたい」と書き残して合宿所から失踪した。夏の全国制覇へ、暗雲が垂れこめた》


愛甲が練習に出ていなかった時期、私は川戸に「お前がエースだ」と叱咤(しった)激励していました。他校に行けば間違いなくエースになれる逸材で、愛甲の存在で目立つことはなかったが、腐らずに黙々と練習する好青年です。愛甲が復帰しなければ、川戸は文句なく横浜高校のエースです。それが愛甲が復帰したとたん、意識が愛甲に寄りすぎていた。きまじめな川戸に失踪するような前兆はまったくなく、あまりに衝撃的でした。それでも全国制覇には川戸は絶対に必要です。あわてて川戸の自宅に行って説得しました。

「お前はもう一人のエースだから、必ず甲子園で投げる機会がある。だから一緒に戦おう」。幸い川戸はすぐ合宿所に戻ってきてくれましたが、この経験は教師になったばかりの私に大きな課題を突き付けました。選手の起用、そして日常でかける何げない言葉。意識はしていないものの、ほんのわずかな選手とのズレが知らないうちに思わぬ事態につながってしまう。選手と接するときはもっと細心の注意を払わなければ、と肝に銘じました。

その教訓もあり、愛甲、川戸の後輩で中学野球で有名な投手だった片平保彦を捕手にコンバートするときは、本人とじっくり話し合いました。「考えさせてほしい」と話した片平は中学時代の恩師と相談し、数日後には吹っ切れた表情でコンバートを受け入れてくれました。こうして愛甲、川戸の両エースと強肩強打の捕手、片平のバッテリーが誕生。ここに1年生のときに甲子園で本塁打を放った安西健二ら野手陣が加わり全国制覇を狙える態勢が整っていきました。


《主将は愛甲投手だった》


愛甲を主将に指名しました。部員たちにはムードメーカーの安西が主将になるのでは、という雰囲気が漂っていたのですが、孤立しているところがある愛甲に自覚を持たせたかったのです。あのころの主将は部員の投票で選ぶケースと私が指名するケースがあり、愛甲は指名でした。エースで主力打者、そして主将、はたからみればワンマンチームです。しかし愛甲は自分の実力を誇ってほかの選手を支配するような人間ではなく、むしろ1人だけでも相手に勝ってやるという意識が強い。その愛甲に選手の中心となって部員たちを引っ張ってもらいたかったのです。

当時の愛甲は私の自宅で暮らしており心を許せば屈託なく人と接することはわかっていました。主将となった愛甲が、本来の自分を出して積極的に引っ張ってくれれば全国制覇も夢ではないのではないか。私のそんな願いが通じたのか、主将となった愛甲は進んで部員たちに声をかけるようになっていきました。


《意図せぬ「優勝宣言」》


55年夏の神奈川大会が始まりました。大会では打線が得点を重ねたうえ、愛甲、川戸の両エースを軸に守備も堅く、6試合のうち5試合が無失点。そして迎えた決勝戦。相手は桐蔭学園です。試合は愛甲が被安打4で完封し、2年ぶりの夏の全国大会出場を勝ち取りました。

試合後の取材で、私は「神奈川代表として甲子園に行く以上、絶対に勝ってきます」と話しました。悔いなく戦って勝利を目指したいとの気持ちでしたが、報道では「優勝宣言」となってしまった。無用な重圧を与えたのではないか。甲子園に出発する前、部員たちに尋ねたら、返ってきたのは「優勝しましょう」という力強い言葉でした。(聞き手 大野正利)

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