書評

『黒人と白人の世界史 「人種」はいかにつくられてきたか』オレリア・ミシェル著、児玉しおり訳 人為的に作られた人種観念

去年もアメリカで黒人青年が警察官に殺害された事件をきっかけに、抗議行動が世界に広がったが、それは社会の中に人種差別が日常的に存在することをあらためて知らせた。日本でも人ごとではない。

人間を人種や民族に分けて優劣をつけることに、科学的には何の根拠もないことは一般的に認められている。しかし、現実に人種差別は後を絶たない。とくに米欧では黒人が奴隷だった時代があり、奴隷制が廃止された後でこそ黒人差別は顕著になった。

本書はそのパラドックスを解くために、黒人と白人の区別、さらには人種の観念がいかに形成され、差別の根拠として機能するようになったのかを、二つの局面から解明している。

一つは古来どこにもあった奴隷制と、近代の西洋人が大量のアフリカ人を新大陸に移送して奴隷化した歴史的事態との類似と相違とを解き明かす。

そして後者、つまり黒人奴隷が、大西洋交易から発展する近代世界システムの経済的要素として組み込まれ、自由主義経済の要請が奴隷制を廃棄させた後にも、差別の構造を維持するために人種の観念が人為的に作られてきたことを、歴史的事象の検討から明らかにする。

黒人は劣っていたから奴隷にされたのではなく、制度的な奴隷制が解消された後にも、違った形で白人優位の社会を維持するために、生物学に結ばれた人種の観念が作られたのだと。

そして奴隷であることを、親族関係への帰属を断たれた者、それゆえに「自由」な動産のように扱えるとする人類学者メイヤスーの考えを援用して、人種の観念が白人優位の「自由」の社会体制維持のために機能していることを暴き出す。

さらに、白人男性を軸とした親族関係のあり方そのものを編み直してゆくことに差別の解消の方向を見いだしている。

著者は白人女性である。このような検証が非白人の批判としてではなく、白人研究者によるその社会構造の「自覚」として出てきたところに、グローバル化した世界における知の成熟を見ることができる。

巻末の中村隆之の解説が、錯綜(さくそう)する論議の見通しをつけるよき案内になっている。(明石書店・2970円)

評・西谷修(東京外国語大名誉教授)