正論12月号

新連載「産経新聞の軌跡」 昭和20年代編第1回 戦後保守とリベラルの源流評論家 河村直哉

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産経新聞の歴史の大部は闇に沈んだままになっている。系統立った歴史は書かれていない。私はそれをとても不幸なことだと考えてきた。

産経や保守論壇にとってだけではない。言論史に大きな空白があいたままになっている。戦後日本の言論を考えようと思っても、素材が十分に提供されていない。日本にとって不幸なことである。

終戦の翌年、昭和二十一年八月一日の産経社説(現在の「主張」)「終戦一年と政経の復興」の一節を、まず引いておきたい。

「戦時中極端に右に引締められていた国民が、敗戦と同時に極左に走りたがるのは自然の理ともいえるが、日本民主化を指導するマ司令部の意図が那辺にあるかを考え、さらに日本のあるべき姿を冷静に考えたならば、左右両極端いずれにも走るべきではなく、ひたすら中道を誤らないよう努めなければならぬ。振子はやがては中心に止る。今動乱期にある日本もそうなるのが自然の理である」

■「中庸はむしろ東洋道徳の根源である」戦後日本を覆った左傾思潮

産経について見る前に、戦後の言論状況を概観しておく。

戦後日本は、国家を否定的に見る左傾した思潮に覆われてきた。この事態は敗戦によってもたらされた。戦争にかかわったメディアや知識人の多くがそれまでの自己と国家を否定し、リセットするということが起こった。戦後進歩的知識人を代表する政治学者の丸山真男がいう「悔恨共同体」(丸山『後衛の位置から』)が、メディアも含めて広範に形作られた。

最左翼の思想である共産主義の暴風がそこに重なった。ロシア革命を指導したレーニンに顕著だが、共産思想は国家を階級支配の機構とみなし、それを死滅させようとする。終戦までの日本を否定する戦後の状況と親和性があった。

先の産経社説がいうように、極左に走る傾向が日本に現れた。朝日新聞や、いまは保守的な読売新聞の論調にも、戦後まもない一時期、共産思想が濃厚ににじんだ。

進歩的知識人はえてして容共的だった。彼らは朝日・岩波文化人ともいわれた。直接、共産主義を主張するのでなくても、左傾した思潮がメディアと知識人によって拡散された。

いまでは共産思想は退潮している。左翼や革新という言葉はかつてのような共通語ではなくなった。最初の共産主義国であるソ連が消滅して三十年になる。共産主義陣営と自由主義陣営の東西冷戦を経験していないか、幼いころの記憶でしかない世代が、日本社会の中堅にまでなっている。

平成二十年代の調査だが、四十歳代以下の若い世代では共産党よりも日本維新の会を革新的と見ている、という研究があった(遠藤晶久、ウィリー・ジョウ『イデオロギーと日本政治』)。維新はかつての、保守政党に対立する意味での革新政党ではない。用語の混乱すら見られるようになっている。

かつての左翼、革新に替わっていまではリベラルという言葉がよく用いられる。政治臭を脱臭してはいる。しかし国家に否定的であるという点では、かつての左翼、革新とそれほど変わらない。

メディアも含めたいまのリベラルのすべてが、共産思想に影響されているなどといっているのではない。しかしこの思想と絡み合いながら戦後日本を方向づけてきた思考様式が、なお残っている。

たとえばリベラルは国家権力を警戒する。新型コロナから国民を守るために法的な強制力を持たせることを過度に警戒する。国家の自衛を妨げる声明を出している日本学術会議の問題で、政治の介入を過剰に嫌う。このようなことは最近も、朝日新聞などによって盛んにいわれてきた。

もっと広くいえばこの勢力は、脱国家的な性格を持たされた現行憲法を擁護する。憲法は国権の発動たる戦争、それに交戦権という国家の権利を制限している。つまり脱国家的なのである。またこの勢力は、国家の内実である自国の歴史をことさら悪く見てもきた。

■「上げ潮保守」でよいのか

左傾思潮に覆われた言論界で、保守は逆風のなかを歩んできた。国内の左傾勢力は産経新聞や月刊「正論」に「右派」などとレッテルを貼ってきた。それに呼応するかのようにアメリカのニューヨーク・タイムズや韓国の新聞も産経を「極右」「右翼」と呼んだ。

日本の左傾が危ういまでの状態になるに及んで、ここしばらく保守には追い風が吹いているようである。いわゆる保守論壇も活況を呈している。左に傾きすぎていた日本が健全な姿に戻ろうとしているのなら、望ましいことである。

しかしその保守論壇やインターネットで、やたらと威勢のいい言辞を見るようにもなった。たとえばリベラル勢を「反日」と切り捨てる。攻撃しても左傾は簡単に修正されるものではない。その成り立ちから国家に否定的な要素を抱え込んでしまっているからである。

なぜそうなったのか。克服するためにはどうすべきなのか。それを明らかにすべきだろう。そのためには、少なくとも戦後日本の保守とリベラルの歴史を知らなくてはならない。

メディアでいえば、朝日に代表されるリベラルの歴史は相当に解明されている。しかし産経の保守の歴史はほとんど知られていない。知ろうにも、その素材や機会が極めて限られているからである。

冒頭に引いた社説を見れば、産経の論調が「右派」でも「極右」でもないことがわかるだろう。同じような訴えは、実はもっと早い時期から産経の社説に現れている。終戦後まもないころ、産経が訴えたのは、右でも左でもない。中庸、中道ということだった。「正論」誕生のころ産経新聞や月刊「正論」に関心のある人にとっては、昭和四十年代以降の産経の歩みは断片的にでも知られているかもしれない。共産主義国家、中国の粛清と弾圧である文化大革命に批判的な報道を続けた。特派員が追放されても妥協しなかった。朝日が中国に甘い態度を取り特派員を残したのとは、対照的だった。

日本共産党と産経の間で争われた訴訟も、昭和四十年代の終わりからだった。共産党への自民党の意見広告を四十八年十二月に掲載した産経に対し、共産党が無料の反論文掲載を求めて提訴した。昭和六十二年四月に最高裁で産経の勝訴が確定している。産経の反共の姿勢を世に知らしめることになっただろう。

産経新聞で「正論」欄が始まったのも、四十八年六月である。最初の執筆陣を当時の肩書とともに記せば猪木正道(防衛大学校長)、福田恆存(劇作・評論家)、曽野綾子(作家)ら十八人。同年九月に高坂正堯(京大教授)ら六人、四十九年四月に関嘉彦(都立大名誉教授)ら八人が加わった。現在のいわゆるリベラルとは異なる本来のリベラリスト、さらに保守の論客までを含む布陣だった。

四十八年十一月には雑誌「正論」が創刊された(写真)。当初、この雑誌は新聞の「正論」欄の寄稿を一冊にまとめたものだった。号を重ねるごとに雑誌独自の原稿が増えた。

「正論」について書く以上、開始時、産経新聞社の社長だった鹿内信隆について触れないわけにはいかない。鹿内は著書『泥まみれの挑戦』で自分が執筆メンバーを選び、依頼したと書いている。自身の署名を入れた四十九年元日の産経「年頭の主張」では「正論」欄について、「大新聞の偏向に対するわたしなりの挑戦」と書いた。一人で始めたような書き方である。 鹿内は戦後まもないころから日経連の専務理事を務めた財界人だった。「『左翼にあらずんば、人にあらず』の時代に、あえて私は、世人に『保守反動・資本家の走狗』とさげすまれる風あたりの厳しい道を選ぶことになった」と当時を回顧している(鹿内『泥まみれの自画像』)。

鹿内が保守的な志向を持っていたことは確かである。「正論」路線の定着に一定の役割を果たしたことも否定しない。しかし産経の保守路線が鹿内一人によって始められたと見るのは誤りである。鹿内はワンマン経営者だったようだ。新聞の制作は社員や、信頼関係にある外部の人との共同作業による。新聞にとって重要な年頭の主張(社説)で、自分の署名を付けて「わたしなりの挑戦」と書く感覚は、ワンマン経営者のものである。新聞人の感覚ではない。

■「正論」路線の素地

鹿内がいう「大新聞の偏向」とは朝日を念頭に置いたものだろう。しかし朝日を左偏向とする批判は昭和四十年代に限ったものではない。二十年代にも三十年代にもあった。それは朝日自身が『朝日新聞社史 昭和戦後編』で書いていることである。

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「正論」12月号 主な内容

【特集 政治家・国民に問う】

モリソン豪首相の決意見習え 杏林大学名誉教授 田久保忠衛

誰が日本を滅ぼすのか グループ2021 安保環境の厳しさを語れ 東京外国語大学教授 篠田英朗×ハドソン研究所研究員 村野将

〝やってる感〟出したいアメリカの思惑 軍事社会学者 北村淳

TPPに乱入する中国の狙い チャイナ監視台 産経新聞台北支局長 矢板明夫

仏研究所が警鐘 中国の沖縄浸透工作 産経新聞パリ支局長 三井美奈

これだけ向上した北朝鮮の攻撃力 軍事・情報戦略研究所長 西村金一

【特集 政権への注文】

正面から尖閣問題に向き合う覚悟示せ 八重山日報編集主幹 仲新城誠

拉致の〝異常〟に慣れきってないか 北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)事務局長 横田拓也×家族会事務局次長 飯塚耕一郎

拉致被害者救出 政治が決断せよ 特定失踪者問題調査会代表 荒木和博

米国から聞こえる低調な岸田評を覆せ 麗澤大学特別教授 産経新聞ワシントン駐在客員特派員 古森義久

温暖化防止の本質は国益かけた経済戦争 産経新聞論説委員 長辻象平

「財務省の影」脱し思い切った財政出動を 上武大学教授 田中秀臣

緊急事態宣言は二度と必要ない 医師・元厚生労働省技官 木村盛世

左翼政策「こども庁」実現めざすのか モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授 麗澤大学大学院客員教授 高橋史朗

再生エネ礼賛で進む中国依存 姫路大学特任教授 平野秀樹

太陽光規制 地方の実情 福島県議会議員 渡辺康平

【特集 政局・秋の陣】

「甘利幹事長」人事のあまりのひどさよ 連載「元老の世相を斬る」 元内閣総理大臣 森喜朗

やっぱり恐ろしい安倍晋三という男 「政界なんだかなあ」 産経新聞政治部編集委員兼論説委員 阿比留瑠比

立憲民主党幹部は共産党綱領読むべし 元衆議院議長 伊吹文明

▼「在日ウイグル人証言録④」帰りたくても帰れない 評論家 三浦小太郎

<証言1>アフラン「脅かされている家族」

<証言2>サダ―(仮名・男性)「早く日本に帰りなさい」

<証言3>イリク(仮名・男性)「息子との

通話は監視付き」

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