平成14(2002)年9月17日夜、日朝首脳会談を終えた北朝鮮・平壌で、政府関係者のブリーフィング(状況説明)が始まった。
「『生存』しているのは蓮池薫さん、奥土(現・蓮池)祐木子さん、地村保志さん、浜本(現・地村)富貴恵さん、それにこちら(日本)から所在確認を依頼していない方1人…」
記者らは慌てふためいた。日本政府が認定する拉致被害者リストに入っていない人物が含まれていたからだ。その被害者が新潟県真野町(現・佐渡市)出身の曽我ひとみさん(62)だと確認するまでに2、3日はかかったと記憶している。
佐渡島で暮らしていた当時19歳だった曽我さんと、母、ミヨシさん(89)=拉致当時(46)=は昭和53(1978)年8月12日夜、自宅近くの商店に買い物に出かけ、その帰りに失踪した。北朝鮮側から拉致の事実を知らされるまで、誰も北朝鮮の犯行と気づくことはできなかった。
海上警備は突破され、地域の治安も守られなかった。失踪から時間がたつにつれて薄れる社会の関心。北朝鮮が悪いことに疑いはないが、長きにわたり抑留され続けた曽我さんを思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。ミヨシさんの消息はいまだに不明だ。