子供の頃から翔タイム 打ちすぎてボール不足に

全日本リトルリーグ野球選手権大会の開会式で入場行進する大谷翔平=平成19年7月、東京都江戸川区
全日本リトルリーグ野球選手権大会の開会式で入場行進する大谷翔平=平成19年7月、東京都江戸川区

米大リーグのア・リーグ最優秀選手(MVP)に選ばれたエンゼルスの大谷翔平。大谷の子供時代を知るのが、小学2年~中学1年まで所属していた水沢リトル(岩手県奥州市)で指導に当たった浅利昭治さん(72)だ。MVP受賞を聞き「昔に想像した姿をはるかに超えた成功。自分のことのようにうれしい」と、教え子の成長を喜んだ。

「翔平は必ずプロになる」

こう浅利さんが確信したのは当時小学6年の大谷が臨んだ宮城県気仙沼市で行われたリトルリーグの本塁打競争のとき。15球のうち本塁打を何本打てるかを競うイベントで、他チームの中学1年の4番打者が1、2本に留まる中、あっさり11本の柵越えを果たし優勝した。打つたびに敵チームのため息が感嘆の声に変わっていったという。

水沢リトルのグラウンドに大谷が初めて姿を見せたのは小学2年になったばかりの4月だった。「同級生より頭一つ大きいが、ほんわかとしていて、友人と外野でボール遊びをするぐらいのものだった」と浅利さん。そんな少年が才能の片鱗(へんりん)を示すまで、さほど時間はかからなかった。

一塁に近いという理由で小学3年時に左打者となった大谷はグラウンドが雪に覆われる冬、すぐそばの工場倉庫で毎日200~300球の打撃練習を続けた。雪解けとともにグラウンドに戻ると本塁打の量産が始まった。グラウンド右翼を越え、すぐ側を流れる胆沢川まで約90メートル。流される前に川まで急いで大谷の打球を拾いに行くのがコーチ陣の日課になった。

「新しい球を買ってきてもすぐになくなる。それで(右方向への)引っ張り禁止令を出した」。浅利さんは腰付近に打ちやすいトスを上げて左方向への流し打ちの感覚を教え込んだ。大谷の打撃に幅が生まれた。

中学に上がる直前、世界大会2位のチームとの試合で大谷は2本の本塁打を放った。1本目は右方向に引っ張って球場外の道路へ。2本目は左方向に流し打ち球場外の交差点の信号機に直撃させた。広角に打ち分ける大谷の巧みな打撃は、すでに姿を見せていた。

「性格的に成功しても天狗(てんぐ)にはならない。あとはけがをしないようにしてくれれば、まだまだ成長できる」。テレビに映る大谷の姿に少年だったころの残像を重ねながら、浅利さんはまな弟子に声援を送り続ける。(五十嵐一)