朝晴れエッセー

祖父と椰子の実・11月19日

スーパーに入ると青果コーナーにさまざまな果物が並ぶ。バナナ、パイナップル、キウイ、アボカド、マンゴーと。多くは熱帯の産物。

果物もさりながら熱帯の産物で忘れることのできないものに椰子(やし)の実がある。

私の祖父は太平洋戦争中、赤紙で4回も戦争へと召集された。満州、上海、南京、そして最後はニューギニア島へである。

これほど戦争へとられていっても祖父は奇跡のように戦死の危険をかいくぐって生き延びた。命拾いの連続といえた。

私が小学5年生の頃であったろうか。祖父はどこかへ出かけていった。家へ帰ってきたとき祖父の手には網袋に入った椰子の実があった。

それは家族にとって珍しい熱帯の産物であった。触ってみると硬くて重い。

祖父はノミと金づちを手にし、その椰子の実に穴を開けた。コップを並べ、その中へ椰子の実の中の汁を入れてゆく。生まれて初めて飲む椰子の実の果汁。飲んでみると牛乳とカルピスを足したような味だった。

祖父は私が中学2年生のときに他界した。あの椰子の実は家族にとって珍しいものであったが祖父にとっては戦時中の、ニューギニア島での地獄の日々を思い起こさせただろう。

戦争の生き証人ともいえた祖父。あの日祖父はどこへ出かけ、誰からあの椰子の実をもらってきたのだろうか。父は10年前に亡くなった。母に尋ねても分からないという。

あの椰子の実は私には永遠の謎である。

古神早苗 62 茨城県常陸太田市