ビブリオエッセー

再び哲学。わが「純粋経験」 『善の研究』西田幾多郎(岩波文庫)

私たちは経験を重ねるうちに先入観や偏見など主観的な考えに陥る。年を取ると頑迷固陋(ころう)になるのは人の常だろう。私もこの年になって実感しているが改めて読み始めた哲学者、西田の著作の有名な「純粋経験」という言葉に、あれこれと思いがめぐった。

「経験するというのは事実そのままに知るの意である」。『善の研究』はこんな一文で始まる。表題は「純粋経験」。この哲学書を貫くキーワードだ。「この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである」と書いている。これをどう読むか。

半世紀も前、大学で哲学を専攻していた時、私はカントを読み、ハイデッガーを知った。ニーチェの言葉に目を開かれ、ドストエフスキーの著作を開いた。誰もがそうだったように人生の意味を知りたかった。今もまた、そんな気持ちになって哲学書を読み漁っている。

『善の研究』は「純粋経験」に続き「実在」「善」、第四編「宗教」で終わる。純粋経験は主観的な考えを打破して普遍的、客観的な真理を追い求め、たどり着いた言葉だろう。さらに西田は別の著書で「無」という概念に至る。

例えば「この花は赤い」と判断すると概念化された認識となるが、この判断を中止し、主観と客観が分裂する刹那に意識されるものこそが「無」そのものだと西田は言う。「赤い花そのもの」が事象そのものとして意識に映じているに過ぎないと。それは禅僧が厳しい修行で会得した「無」と共通するのではないか。

西田は「絶対矛盾的自己同一」というさらに難解な言葉も有名だが、壮大な思索の船出に、『善の研究』はある。もとより哲学好きな素人の読みだが、日本人の無常感のもととなる意識を言いあてているのではと思ったりしている。

大阪府高槻市 大賀幸男(68)

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