勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(353)

10・19の悲劇 9分間の抗議 消えた攻撃チャンス

試合後、スタンドの声援に頭を下げる近鉄ナイン(右端が仰木監督)=昭和63年10月19日、川崎球場
試合後、スタンドの声援に頭を下げる近鉄ナイン(右端が仰木監督)=昭和63年10月19日、川崎球場

■勇者の物語(352)

日本中が『阪急の身売り』に騒然となっている中、川崎球場では仰木近鉄が死闘を演じていた。ダブルヘッダーの第1試合を4―3で勝った近鉄は「勝てば優勝」というその年の最終戦に臨んだ。

すでに最下位が決まっているロッテ戦。第1試合の勝利で対ロッテ9連勝。誰も負けるとは思っていない。

◇10月19日 川崎球場

近 鉄 000 001 210 0=4

ロッテ 010 000 210 0=4

(本)マドロック⑰(高柳)吹石②(園川)真喜志③(園川)岡部⑪(高柳)ブライアント(34)(園川)高沢⑭(阿波野)

試合はロッテが意外な粘りをみせた。近鉄が七、八回に吹石、真喜志、ブライアントのソロホーマーで3点を挙げれば、ロッテも七回に岡部、八回には高沢が阿波野から同点ホームラン。試合は4―4のまま延長戦に入った。

引き分けではダメ。勝たなければ勝率で西武が優勝する。焦りが選手たちの硬さを生んだ。当時のプロ野球のルールでは「開始から4時間を経過して新しい回には進まない。延長は十二回まで」と規定されていた。

延長十回、近鉄の攻撃が「0」で終わった。午後10時41分、試合開始から3時間57分。もう延長はない。近鉄の逆転優勝の夢は消えた。試合後、選手たちは三塁線上に並びスタンドのファンに頭を下げた。

「みなさんに感動を与えるゲームができ、残念ではございますが、悔いはありません」。仰木監督は目を真っ赤にして言葉を絞り出した。

この試合が近鉄『10・19の悲劇』といわれたのは単に最終戦に勝てなかったからだけではない。

問題となったのは九回のロッテの攻撃。無死一、二塁で近鉄の阿波野が二塁へ牽(けん)制(せい)球を投げた。このとき、走者の古川と二塁手大石がもつれた。審判は「古川の足がベースから離れた」としてアウトのコール。これにロッテ有藤監督が「大石が体で押したじゃないか」と抗議。9分間続いた。

時間がどんどんと進んでいく。結局、延長十回までしかできなかった。もちろん有藤監督の長い抗議はわざとではないだろう。だが、もっと早く終わっていれば、もう1イニングは戦えた。勝てた―の思いにつながる。それが「悲劇」といわれた要因である。(敬称略)

■勇者の物語(354)