赤ヘル・古葉さん「無欲の勝利」原点は熊本の母校に

夏の甲子園に出場した母校、済々黌の後輩たちに声援を送る古葉竹識さん=平成24年8月、甲子園球場
夏の甲子園に出場した母校、済々黌の後輩たちに声援を送る古葉竹識さん=平成24年8月、甲子園球場

プロ野球・広島東洋カープの黄金期を築いた名監督、古葉竹識(こば・たけし)さんが亡くなったとの報に接した。記者と同じ熊本出身で、まさに郷土の誇りだった。

昭和50年に広島監督に就くと、54年に初の日本一に輝いた。11年間でリーグ優勝4回、日本シリーズを3回制覇し、「赤ヘル旋風」を起こした。

実は、平成29年夏、記者が九州総局に単身赴任中、取材したことがある。九州・山口の名門校をPRする連載企画「自慢させろ! わが高校」で、古葉さんが卒業した済々黌(せいせいこう)高校(熊本市中央区)を取り上げたときのことだ。

古葉さんは昭和28年春、三塁手で甲子園に出場した時の思い出を懐かしそうに語ってくれた。

「先輩が厳しかった。ノックでボールを取り損ねると、『お前ら、並べ』と声がかかり、マウンドの辺りに立たされ、猛烈な打球を浴びた。でも、全てが試合に勝つため。先輩と甲子園でプレーできたのが本当に、本当に幸せでした。感謝の言葉しかありません」

テレビ画面の向こう側で監督や解説者として見せていた厳しい表情とは違い、実に穏やかな語り口だった。

古葉さんの年はベスト8までだったが、5年後のセンバツで後輩たちが紫紺の優勝旗をつかみ取る。

「無欲で、耐えて勝つ。これが済々黌の野球です。勝利のためにできることを徹底したことが良かったんですね」

記者は後日、同校野球部を訪ねた。グラウンドのネット裏に過去の甲子園の出場選手一覧を刻んだ石碑が立つ。古葉さんの名前もあった。

石碑には「無欲の勝利」と刻まれている。

勝利にこだわり続けた野球人生だった。その原点は、校名にある通り、「多士済々」の人材を世に送り出す済々黌で野球に打ち込んでいた、あの時代にあった。享年85。(前九州総局、現夕刊フジ報道部・村上智博)