勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(352)

ドッキリか? 阪急売却 なぜそこまで…

球団身売りを選手たちに説明する上田監督=昭和63年10月19日、西宮球場
球団身売りを選手たちに説明する上田監督=昭和63年10月19日、西宮球場

■勇者の物語(351)

10月19日、上田監督は午後6時40分から大阪・豊中市の千里阪急ホテルで記者会見を行った。目を伏せ、真一文字に唇を閉じる上田監督にカメラフラッシュが浴びせかけられた。

監督が「球団譲渡」を知らされたのは正式発表の2日前、17日のこと。午前11時に大阪・梅田の電鉄本社に呼び出され、小林オーナーから打ち明けられた。そのあと、オリエント・リースの宮内社長を紹介され「来季もやってほしい」と監督続投を要請されたという。

「とにかく驚いた。信じられんかった。オーナーの話を聞いていても、ウチではなくどこか他の球団の話―と思うくらい気が動転した。だから、監督就任の件は返事を待ってもらったんや」

選手たちに伝えられたのは19日の午後。練習前に西宮球場の監督室で譲渡を聞いた福本と山田は「冗談と思った」という。

「前向きな身売りなのか、経営が行き詰まっての身売りなのか何も分からん。自分が阪急を去る(引退)前にこんなことになるとは…」と山田。

福本も「ウソやろ、何それ。はは~ん、こらドッキリカメラの撮影やな―と部屋を見回した。けどカメラはない。沈んでる監督と矢形取締役の顔を見たら、ほんまに身売りするんや…と力が抜けたわ」と回想した。

練習終了後の午後2時45分、西宮球場の外野に1、2軍全選手、コーチ陣、裏方さん全員が集められ、土田球団社長が説明した。選手たちの間からは嗚咽(おえつ)が聞こえた。

『阪急身売り』のニュースはアッという間に日本中を駆け巡った。テレビに臨時ニュースのテロップが流れ、お昼のワイドショーは午後5時からの会見に合わせて、急遽(きゅうきょ)〝特番〟が組まれた。西京極球場から戻った筆者も球界関係者の談話を取るために飛び回った。

スポーツニッポンの評論家を務めていた西本幸雄は静かにこう語った。

「いろんなことがこのプロ野球界にはあるが、こんなショックを受けたことはない。いまでも信じられん。なぜ、そこまでしなければならんのか、大きな疑問が残る。上田監督の留任も決まり、来季も頑張るものと思っていたのに…」

すべての人たちの心を代弁していた。(敬称略)

■勇者の物語(353)