躍動プレーに励まされた 長嶋さんは人生の座標軸だ 鹿間孝一

東京五輪の開会式で聖火ランナーを務めた長嶋茂雄氏(中央)。王貞治氏(左)、松井秀喜氏(右)と一緒だった=7月23日、国立競技場(納冨康撮影)
東京五輪の開会式で聖火ランナーを務めた長嶋茂雄氏(中央)。王貞治氏(左)、松井秀喜氏(右)と一緒だった=7月23日、国立競技場(納冨康撮影)

遅ればせながら、長嶋茂雄さんに文化勲章のお祝いを申し上げたい。8年前に受賞した国民栄誉賞と〝二冠〟である。

思い出がある。1988年のソウル五輪。テレビ局のリポーターとして現地に来ていた長嶋さんを、メインスタジアムの記者席で見かけた。スタッフと打ち合わせをしているようで、あの聞きなれた甲高い声が少し離れた僕らの席にも届いた。少年の頃からの憧れのヒーローがすぐそばにいる、とドキドキした。

コーヒーが一つ余ったらしく、いただいた。「どーぞー」と言ってくれたように思えて、軽く頭を下げた。たまたま目が合ったのではなく、ずっと長嶋さんを見ていたのだ。

数日後、巨人の王貞治監督の辞任というニュースが飛び込んできた。急遽、ソウル市内のホテルで記者会見した長嶋さんは、野球人の顔になっていた。

長嶋さんがデビューした昭和33年、僕は小学校に入学した。中学まで野球に熱中した。ポジションはサード。ゴロを捕球した後、たたらを踏むように1、2歩ステップして一塁に投げる。上半身がねじれるほどに力いっぱいバットを振る。

長嶋さんの華麗で力感あふれるプレーをまねした。アンチ巨人でも、長嶋さんだけは別だ。そういう野球ファンは少なくなかった。

長嶋さんが現役引退した49年秋、僕は大学4年で、ちょうど就職が決まった。自分も転機を感じながら、テレビで感動的な引退セレモニーを見ていた。長嶋さんは人生を振り返る時の座標軸である。

数々の伝説があるが、このエピソードが好きだ。Ⅴ9時代の巨人で、川上哲治監督がミーティングのレポートの提出を命じた。選手たちは話の内容をまとめたり、感想を書いたりしたが、長嶋さんのは原稿用紙に大きな文字で「わかりました」とだけあったという。

同じスポーツ界から文化勲章を受章した「フジヤマのトビウオ」古橋広之進さんは、敗戦で沈んだ人々に一筋の光をもたらした。長嶋さんは高度成長期の日本の輝く太陽だった。プロ野球のナイター中継が最大の娯楽で、テレビの中で躍動する長嶋さんに元気づけられた。誰もが笑顔になる天真爛漫な明るさと、記録よりも記憶に残る存在感は唯一無二である。

今年7月の東京五輪の開会式で、聖火ランナーとして登場した。松井秀喜さんに支えられながら歩を進める姿に、目頭が熱くなった。

しかま・こういち 昭和26年生まれ。社会部遊軍記者が長く、社会部長、編集長、日本工業新聞社専務などを歴任。特別記者兼論説委員として8年7カ月にわたって夕刊1面コラム「湊町365」(産経ニュースでは「浪速風」)を執筆した。