ビブリオエッセー

「多様性」の違和感描く 「正欲」朝井リョウ(新潮社)

表立っては言えないけれど、「SDGs」や「多様性の尊重」といった言葉に何となく違和感を持っている人は多いと思う。しかし、それは言葉や意味そのものへの疑念というより表層的な部分だけかすめ取ってイメージアップに利用したり、持ち出せば反論できないことを分かってパワーワード的に使ったりする人たちへの不信感が根底にあるのではないか。

『正欲』は巷にあふれる「多様性」の欺瞞を暴き出す。登場人物の一人は吐き捨てるように語った。「自分が想像できる〝多様性〟だけ礼讃して、秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな」。治りかけていた傷口のカサブタをえぐられるようなセリフだ。

この小説はフェティシズムやある種の性的嗜(し)好(こう)でつながる人たちを登場させ、読者が感じるだろう嫌悪感をあえて描く。その卓越した観察眼により世間の常識を片っ端から引きはがしてきた朝井節はここでも健在だ。なにより感動したのは、これまで社会の良識や前提を裏返してそのまま投げ出してきた朝井さんが「じゃあ、どうすればいいんですか」という問いに真正面から応え、その先を描いているところである。

「正欲」とは何か。ここで結論は書かない。ネタバレするからではなく、そこだけ抜き出しても著者の意図が伝わらず、ゆがめられる恐れさえあるからだ。表層的な要約からこぼれ落ちてしまう部分に朝井文学の神髄がある。

ひとつの言葉や意味を本当に届けようとするなら『正欲』のような長い物語、分厚さが必要なのだと思う。それはまた、ネットですぐ解答や結論が引き出せて、分かりやすさと即効性が優先的に求められる今もなお、私たちが小説を読み続ける理由でもあるはずだ。

大阪府富田林市 ナカガワタケフミ(51)

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