石仏は語る

石垣に転用された五尊石仏 奈良・郡山城石垣石仏

郡山城の石垣石仏(五尊石仏)
郡山城の石垣石仏(五尊石仏)

郡山城は天正13(1585)年、豊臣秀長が入部すると、百万石の居城にふさわしい城造りが始まったといわれています。同15年には城門とするために、紀州根来寺の大門を運び、石垣には三笠山(若草山)と御蓋山(みかさやま、春日山)を源流域とする春日山原始林の山峡を流れる水谷川(みずやがわ)から、石を切り出しています。築城のための石材不足から、五郎太石(ごろたいし、石垣の裏や隙間を埋める小石や砂利)の採集を命じています。さらに、寺々にあった配石や礎石、五輪塔、石仏などを転用して石垣としており、その石造品が多くみられます。

この郡山城の石垣に転用されている石仏・石塔・墓石などの中には、奈良市内の史跡「頭塔(ずとう)」の遺品とみられる五尊石仏があります。本丸南門跡内堀の隅石に使われた、花崗岩(かこうがん)製、長さ約143センチ、幅約103センチ、厚さ約26~36センチの石仏です。

【石仏は語る】M郡山城CT
【石仏は語る】M郡山城CT

その上部には佛殿とみられる寄せ棟造り瓦葺き、鴟尾(しび)をあげた立派な建物が浮き彫りされています。その中には五尊の浮き彫りがみられ、中尊の如来像は像高約30センチ、右手は施無畏(せむい)印、左手は膝上に置かれています。左右脇侍(きょうじ)菩薩坐像は合掌の姿が見られます。蓮華(れんげ)座の下部には宝相華唐草紋(ほうそうげからくさもん)が浮き彫りされているのです。石材を引きずった痕跡が痛々しく摩滅していますが、奈良時代当初の加工されたままの状態が残されており、史料的価値の高い石仏です。

このほか石垣の中には、地蔵菩薩立像が逆さに積み込まれている石仏があり、「さかさ地蔵」と呼ばれています。石材は約130センチほどですが、像容は、左手に宝珠を持ち、右手に錫杖(しゃくじょう)を持っており、仏身は約90センチの立像で、「大永三(1523)年癸未七月十八日」の刻銘があり、室町時代の遺品です。(地域歴史民俗考古研究所所長 辻尾榮市)