話の肖像画

渡辺元智(14)叱責のはずが…初優勝もたらした言葉

広島商を破り、優勝を決めて喜ぶ永川英植投手と沢木佳実捕手=昭和48年4月、甲子園球場
広島商を破り、優勝を決めて喜ぶ永川英植投手と沢木佳実捕手=昭和48年4月、甲子園球場

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《昭和48年4月、初めて出場した春の選抜大会で決勝戦に進出した。相手は古豪・広島商。延長十回表に1点を勝ち越した横浜高校はあと1人を打ち取れば優勝という場面で、富田毅左翼手が飛球を落球。同点に追いつかれた》


記録は安打になっていますが、富田は打球に追いついていてグラブにも当てている。絶対に捕れていた打球です。やっとの思いで1点を奪い、あと1人で全国制覇という場面でのミス。ベンチでこぶしを握りしめました。相手は百戦錬磨の広島商です。富田の落球で甲子園球場の雰囲気も変わってしまいました。なんとかエースの永川英植が後続を断ち、十一回に突入することになりました。

攻守交代で富田がベンチにもどってきた。「なんであんな大事な場面でミスをするんだ」と叱りつけてやろうと待っていたところ、富田が私の前に来て「すみませんでした」と頭を下げました。その瞬間、なぜか握ったこぶしから、力がスーッと抜けたんです。そして出た言葉は「この回、打席がまわってくるかもしれないだろう。打ってくればいいじゃないか」でした。これには自分でも驚きました。あの決勝戦のベンチで、なぜ心の中とまったく違う言葉が出てきたのか。今でもまったく解明できていません。

富田の目には涙が浮かんでいました。それをみたときは、「この場面で涙を流しながら打席に入っても絶対に打てないな」と思いました。


《延長十一回表2死一塁で、富田選手に打席がまわってきた》


その打席の富田は広島商の好投手、佃正樹君に翻弄され、2ボール2ストライクと追い込まれました。やはりだめか、と思っていたら、富田が迷いのない力強いスイングで佃投手の勝負球をバットの芯で捉えた。打球は伸びていき、そのまま左翼ポール際のスタンドに飛び込んでいったのです。目の前のできごとが信じられませんでした。打てないと思っていた富田が、全国制覇を決める2ラン本塁打を放ったのです。その裏を永川が抑え、悲願の全国優勝を勝ち取りました。

富田の決勝2ランは当時の私にとって想像もできなかったできごとです。あのときベンチで、富田はミスを叱られると思っていたのでしょう。私もそのつもりでした。しかし無意識でかけた言葉は「打ってくればいいじゃないか」。それがとてつもない結果をたぐり寄せた。野球観が変わりましたね。選手がいい感覚で打席に立つことがいかに大事なことか。私にとって、大きな経験になりました。


《28歳での快挙、環境は激変した。自身初の夏の大会出場へ、挑戦が始まった》


「あんな若造で大丈夫なのか」という声は聞こえなくなり、苦労していた選手の勧誘でも「横浜高校に入りたい」という中学生が増えました。大舞台を経験した選手たちはたくましくなり、今度こそ東海大相模を倒して夏も出場し、できれば春夏連覇を、との思いも強まりました。迎えた夏の神奈川大会。2、3回戦と10点差以上で勝ち上がり、神奈川工を下して迎えた準々決勝は桐蔭学園が相手でした。その試合、ミスで失った1点をどうしても追いつけず、よもやの完封負け。夏の出場を逃してしまいました。

永川が最上級生となった49年は、春の選抜には2年連続で出場したのですが、夏は県大会決勝で東海大相模に惜敗でした。私がもう少し野球がわかっていれば、永川のときに夏も行けていたはずなんです。その後悔がその後の指導の礎になりました。(聞き手 大野正利)

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