勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(350)

譲渡の理由 プロ野球振興 使命果たした阪急

球団買収の経緯を説明するオリエント・リースの宮内社長。右は阪急の小林オーナー(左は近藤新球団社長) =昭和63年10月19日
球団買収の経緯を説明するオリエント・リースの宮内社長。右は阪急の小林オーナー(左は近藤新球団社長) =昭和63年10月19日

■勇者の物語(349)

その日、筆者は西京極球場に来ていた。昭和63年の10月19日、京都国体の高校野球、江の川(島根)―沖縄水産(沖縄)の決勝戦。この年のドラフトの注目選手、江の川の谷繁捕手の取材だ。球場へ着くとすぐに会社に電話を入れた。

「待っとったぞ。阪急が身売りや。夕方に発表会見や。すぐ、帰ってこい」

デスクの声が興奮してうわずっている。まさか…驚きで返事もできない。売却先はリース業界の最大手「オリエント・リース」という。すぐに球場を飛び出した。

発表会場となった大阪・梅田の新阪急ホテルには200人近い報道陣が詰めかけた。ひな壇の中央にはオリエント・リースの宮内義彦社長と阪急の小林公平オーナー。そして新旧の球団社長が対照的な表情をして座っていた。

①球団の名称は「オリックス・ブレーブス」

②西宮球場をフランチャイズとする

③上田監督の留任―で合意に達していることが明らかにされた。

超極秘裏に進められた譲渡工作。小林オーナーによると「8月中旬に宮内さんから〝球団を譲ってもらえませんか〟と申し込みがあり、水面下で交渉を続け10月14日に正式合意に達した」という。

61年に初の100万人動員を達成し、この63年も105万3000人。だが、実収入は「半分以下」といわれた。巨人や阪神などが莫(ばく)大(だい)なグッズ収入や放映権料を手に入れているのに対し、阪急の収入は極度に少ない。毎年10億円近い赤字を抱えていた。もっとも小林オーナーに言わせれば、譲渡の理由はそこではないという。

「赤字だからという理由ではまったくありません。球団経営は重荷ではないです。譲渡に至ったのは、プロ野球の振興と青少年のスポーツ振興という、これまで阪急が務めてきた〝社会的使命〟は達成した―ということ。そして、われわれより全国的、国際的に仕事をしておられるところが、球団を経営する方がベターである―と判断したからです」

オリエント・リースは阪急と同じ三和銀行(現在の三菱UFJ銀行)をメインバンクとする企業グループ『三水会』のメンバー。では、次はオリエント・リースの事情をみてみよう。(敬称略)

■勇者の物語(351)