勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(349)

なかった前兆 もう一つの「10・19」阪急売却

■勇者の物語(348)

今でこそプロ野球界の「10・19事件」といえば、130試合目で優勝を逃した〝悲劇の近鉄〟のことだが、実はこの「10・19」こそ、阪急ブレーブスの球団売却が発表された日なのである。

南海ホークスのように毎年、身売りが話題に上っていたわけでもない。まさに電撃、衝撃、まさか―の発表だった。

いまでも「何か前兆はなかったのだろうか…」と振り返ることがある。けれど、ほとんど思い当たらない。あるとすれば、前述(第341話)の上田監督の例年にない早い続投発表だ。

阪急は球団譲渡の第1条件に「上田監督の続投」を入れた。売却前に契約を済ませておけば続投は確実―という意図があったのではないか。とはいえ、それも〝前兆〟といえるほどのものではない。

売却どころか、ブレーブスの将来は盤石―とまで思われていた。昭和63年の1月1日付で創業家の「小林家」から小林公平が新オーナーに就任。懸案だった上田監督の「後継問題」も、エース山田が現役を引退し退団。福本が〝ポスト上田〟として残り(兼任コーチ)、上田監督から帝王学を学ぶ予定になっていた。

「ほんまやったら現役一本でやりたい。ただ、球団の事情も分かる。〝手伝ってくれ〟といわれれば、やるよ」

10月14日、阪急ブレーブスのプロモーションビデオが発表された。

球団の歴史や西宮球場、合宿所、練習場。さらには阪急電鉄梅田駅や百貨店、三番街などの商業施設、阪急グループ310社の紹介映像が15分にまとめられ、有力選手を抱える全国の大学や高校、約250校にすでに発送済みという。

ビデオのパッケージには阪急グループの東宝に所属する人気女優・沢口靖子が応援メガホンを持ってニッコリ。約1000万円の費用をかけて500巻製作した。さらにラストの3分間は発送地別に九州、中国、四国、東北、北海道などに分け、それぞれの出身選手(例えば九州地区は石嶺、松永、福良)が「ボクたちと一緒に頑張りましょう!」と呼びかける映像になっている。

発表の席で土田球団社長は「ことしはドラフトの6人枠にとらわれず、大量補強を考えています」と胸を張った。その5日後に―。水面下で極秘裏に…売却作業は着々と進んでいたのである。(敬称略)

■勇者の物語(350)