話の肖像画

渡辺元智(11)剛腕投手迎え再び「壁」に挑む

甲子園で力投する永川英植投手
甲子園で力投する永川英植投手

《甲子園出場に立ちはだかる東海大相模、原貢監督の高い壁。それを乗り越える可能性を秘めた投手が横浜市鶴見区の中学校にいた。昭和48年春に選抜大会で初出場初優勝の立役者となる永川英植だ》


永川の中学校の野球部顧問、中村泰則先生が横浜高校のOBで、以前から中村先生と親しくさせてもらっていたのです。中村先生は素行の悪い選手を更生させ、高校野球界にいい選手を送り出すことで有名な指導者でした。選手の立場に立った優しい指導で、野球だけでなく人としても選手を育てる。口数は少ないのですが、やんちゃな選手や保護者がみんな、「中村先生」「中村先生」と慕っていました。私も指導者だけでなく教育者としての魅力にもひかれ、学ぶところが多かったのです。

中村先生の教え子である永川は、中学1年生のときから有名な剛腕投手で、十中八九は東海大相模にいくと思っていました。それが中村先生から「永川が横浜高校に入りたいと言っています」と伝えられたのです。本人の意思もあったと思いますが、中村先生が横浜高校出身でなかったら、おそらく永川は入学していなかったでしょう。中村先生は恩人です。永川の入学で、横浜高校の新しい歴史が開いていきました。


《剛腕投手に弱点があった》


入学後の練習で見た永川は、噂以上の実力でした。豪速球は1学年上で三塁手から捕手にコンバートした沢木佳実が正確に受けることができないほど。体も大きくてけんかなどしたらかなり強いはずなのですが、性格はとにかくまじめで、「走りなさい」といったら、いつまでも走っている。あるとき永川にランニングを命じたのですが、お客さんがきて駅前の喫茶店で話し込んでしまった。グラウンドに帰ってみたら、永川はまだ走っていたということもありました。

ある日、永川がランニング中にばったりと倒れた。いったい何が起きたのか。仲のいい関根雄治に聞いてみると、永川には貧血の持病があるという。試合でも突然、貧血に襲われて、あの圧倒的な豪速球が投げられなくなってしまうことがあるというのです。新たに貧血への対策が急務となりました。


《1年生の夏、東海大相模の洗礼を浴びた》


永川の初めての夏の神奈川大会での活躍は圧巻でした。初戦は関東学院高相手にノーヒットノーランを達成し、その後も無失点で勝ち上がった。準々決勝は宿敵、東海大相模との対戦となりました。いかに東海大相模でも永川の豪速球を打ち返すことは難しいだろう。壁を越えるチャンスだと、意気込んで試合に臨んだことを思い出します。

しかし百戦錬磨の原監督は永川を徹底的に研究していました。加えて三回裏、永川に貧血が出て、すきを突かれて2点を先制された。どうにか同点に追いついて延長戦に突入したものの、立ち直った永川は一度貧血を起こして体力が残っておらず、最後は3―4の逆転サヨナラ負け。東海大相模の底力に屈することになりました。

永川の貧血を何とかしなければ。高校時代の1年後輩の投手で大洋に行った平岡一郎君から「キャベツやホウレンソウをたくさん食べさせたらいいよ」とアドバイスをもらった。それで妻と相談の上、食生活を改善しようと合宿所から私のアパートに引き取ることにしたのです。ところが、永川は「特別扱いはしないでほしい」と難色を示した。

まじめな性格に感銘を受けましたが、東海大相模を倒すためには来てもらわなければならない。他の選手もアパートに連れていくことで納得してもらい、貧血の改善に取り組むことになりました。(聞き手 大野正利)