話の肖像画

渡辺元智(10)支えてくれた妻、パチンコ景品で補う食卓

昭和49年夏の神奈川大会決勝でも東海大相模に敗れ、甲子園出場を阻まれた
昭和49年夏の神奈川大会決勝でも東海大相模に敗れ、甲子園出場を阻まれた

《昭和44年夏、甲子園出場に手応えを感じていたチームが神奈川大会決勝で東海大相模に惜敗。その東海大相模は翌年、全国制覇を果たした。高くなっていく壁を越えるため、再び模索の日々が始まる》

東海大相模には専用球場や合宿所が完備され、県内だけでなく全国の有望選手が原貢監督を慕って集まっていました。このままでは全国はおろか、神奈川を制することもできない。さて、どうするか。練習環境の改善は甲子園出場という実績を積んでいない現状では認めてもらえません。そこで有望選手を全国に求めることにしたのです。勧誘のための交通費は自費でまかないました。

この頃、大阪にいい中学生投手がいると聞いて訪ねていきました。後に巨人に入団するほど素質のある投手です。「ぜひ横浜高校で全国制覇を」と勧誘しました。私の情熱が通じたのでしょう。この投手を含めた大阪の3選手が横浜高校に行きたいと言ってくれました。ところが合宿所も専用グラウンドもないのが当時の現実です。3選手になんとか頑張ってもらい、東海大相模を倒して甲子園に出場して全国制覇し、3選手の将来を切り開くとともに、野球部の環境改善と彼らに続く有望選手の入部も増やしたい…。

現実は甘くはありませんでした。この投手の中学の先生が学校に来て想定外の練習環境にがくぜんとし、横浜高校への進学をとりやめたのです。もう一人にも断られ、入学したのは捕手の井須博己だけでした。大阪府守口市で銭湯を営んでいた井須の両親が「人間を磨いてこい」と、律義に息子を私に預けてくれたのです。

《井須選手が入学したものの、合宿所がないという現実は変わらない》

結婚したばかりの年上の妻、紀子(みちこ)に頼みました。「井須と一緒にアパートで暮らしてくれないか」。外戚の紀子は戦争で父親を亡くし、母親が再婚したために両親と離れ、親戚を頼って成長していました。そのため中学卒業後には洋裁の技術を身につけ、さらに生け花の先生になるなど自立した、たくましい女性だったのです。父親の結核で小学校5年生まで家族と暮らすことができず、荒れた少年時代を過ごした私を包み込むように接してくれていました。私のような人間を支えてくれるのは紀子しかいない、との一念で頼んで結婚したのです。

甲子園出場は私の都合で、そのために新婚生活を犠牲にして高校生を預かるなど、許してもらえることではありません。しかし妻は受け入れてくれました。京浜急行の平和島駅前の6畳一間で、3人が川の字で寝る日々が始まりました。それにしても井須がとにかく食べる。たちまち総菜に困るという現実を突き付けられました。

《総菜不足を救ったのは意外な特技だった》

妻の負担をなんとか軽くしたい。井須の食欲も満たしたい。そこで目を付けたのはパチンコでした。景品で得た肉や魚の缶詰で井須の栄養面を補ったのです。当時のパチンコ台のハンドルは全自動ではなく手打ちで、微妙な指先加減ではじいてくぎに当てる職人技が必要でした。私には才能があったのでしょう。コツをつかんで缶詰を家に持って帰り、食卓を彩ることができました。

その後は家に預かる選手が増え、さらに缶詰が必要となった。家庭では娘2人が生まれましたので、パチンコ店に娘を連れていき、床に落ちていた玉を拾わせたこともあります。大人が拾えばどやされますが、小さな女の子なら声を荒らげる人はいません。東海大相模を倒して甲子園出場を達成するため、何でもやってやる、との一念でした。(聞き手 大野正利)