瀬戸内寂聴さん死去 創作意欲、死の先にまで

短編集「わかれ」を刊行し、インタビューに答える作家の瀬戸内寂聴さん=平成27年11月、京都市右京区の寂庵
短編集「わかれ」を刊行し、インタビューに答える作家の瀬戸内寂聴さん=平成27年11月、京都市右京区の寂庵

京都・嵯峨野にある寂庵に平成30年晩秋、当時96歳の瀬戸内寂聴さんを訪ねた。ちょうど文芸誌に載せる小説を徹夜して2本脱稿し、一息ついていた。「この年で連載2本ってすごいでしょう。私は死ぬまで意義のあることをして暮らしたいの。それは小説を書くこと」と話していた。

大正、昭和、平成、令和を生き抜き、文学に燃焼した人生。とりわけ「恋と革命を小説に描いてきた」と語っていた。

「美は乱調にあり」「諧調は偽りなり」-。無政府主義者・大杉栄の言葉に強くひかれ、代表作となる評伝小説のタイトルにしたほどで、自身の歩みにも重ねていた。「なまぬるい生を送るよりは、乱調の美に身を投じ、地獄の火に焼かれる方が望ましい」と。

伊藤野枝(のえ)、平塚らいてう、岡本かの子…。桁外れのスケールで恋やそれぞれの分野で激しく生きた女性たちを描き続けたが、「私の中にも、革命家の闘志のようなものがある」と口にしたことがある。

昭和61年に連合赤軍のリーダーだった永田洋子元死刑囚(平成23年死去)との往復書簡を刊行。元日本赤軍リーダー、重信房子受刑者とも手紙でやりとりを重ねた。作家として、彼女たちの根源にあるものを探ろうとしたのだろう。

51歳で仏門に帰依してからも精力的に書き続け、生涯を文学にささげた。「死んだら、あの世があるのかないのか。尼になっても分からない。それこそ、書きたいんです」。創作意欲は死の先にまで及んでいた。(横山由紀子)