ミノルタα-7000、カワサキZ1を生んだ遺伝子

戸津井康之著「双翼の日の丸エンジニア」(学研プラス)
戸津井康之著「双翼の日の丸エンジニア」(学研プラス)

「双翼の日の丸エンジニア」

「失敗を恐れてはいけない」-。世界を魅了した初の本格オートフォーカス一眼レフカメラ「ミノルタα-7000」、伝説の大型バイク「カワサキZ1」が世に出た背景には、戦前から受け継がれた技術者たちの情熱があった。後進の指導に当たった「ゼロ戦」設計者の堀越二郎さん(1903~82年)ら、ものづくりの遺伝子だ。ノンフィクション『双翼の日の丸エンジニア』(学研プラス)は、高度経済成長期に高い技術力を世界に誇った「メード・イン・ジャパン」の誕生秘話に迫る。

ゼロのDNAと飛燕の遺伝子

先の大戦で敗れ、衰退の憂き目をみた日本の航空機産業だが、かつては世界に名をはせた設計士がいた。ゼロ戦や雷電(らいでん)など日本海軍の傑作機を手がけ、映画「風立ちぬ」でも知られる堀越さんと、飛燕(ひえん)や屠龍(とりゅう)などの陸軍戦闘機を設計した土井武夫さん(1904~96年)だ。

著者である元産経新聞文化部編集委員でフリーライターの戸津井康之さん(56)は、「〝ゼロのDNA〟〝飛燕の遺伝子〟は、教え子らを通してカメラやバイクの開発に受け継がれ、高度経済成長期の日本のものづくりを後押ししていくのです」と語る。

戦後、防衛大学校の教授だった堀越さんに航空機設計の指導を受けたのが、葛城衛さん(77)。ミノルタカメラ(現コニカミノルタ)に入社し、1985年に画期的なオートフォーカス一眼レフカメラ「ミノルタα-7000」を開発する。ヨーロッパで「ダイナックス」、米国では「マクサム」の名前で発売されると、一眼レフなのに軽量でコンパクト、値段も手頃とあって、大ヒット商品となった。

「αー7000」などのカメラを手がけた葛城衛さん(本人提供)
「αー7000」などのカメラを手がけた葛城衛さん(本人提供)

防衛大時代、軽飛行機の設計に当たり、堀越さんから「エンジンの性能を最大限引き出すことを考えろ」と、繰り返し諭されたという葛城さん。「失敗を恐れず、過去に学びながらも、オリジナリティーを持てと、先生からエンジニアとしての心構えも徹底してたたきこまれました」

そして、名古屋大学工学部航空学科で、土井さんに学んだ百合草(ゆりくさ)三佐雄さん(86)は、川崎重工で世界最速の称号を誇った大型バイク「カワサキZ1」を開発。米国でカワサキモータース(KMC)社長を務め、米国市場に普及させた立役者だ。Z1の系譜を受け継ぐ大型バイクは、映画「トップガン」「ターミネーター2」の劇中でも使用されるほどだった。

開発した「カワサキZ1」のシートに座る百合草三佐雄さん(本人提供)
開発した「カワサキZ1」のシートに座る百合草三佐雄さん(本人提供)

両者とも、当初は航空分野での仕事を望んでいたが、カメラとバイクというそれぞれの分野を究めてきた。

日本のものづくりの糧に

ともに、訴訟という試練も経験している。

白バイとして採用した川崎重工の大型バイクの転倒事故が起き、その原因が「バイク側の欠陥」にあるとし、米国の警官によって集団訴訟が起こされるが、のちに警官らのメンテンナンス不足が原因であると判明し、リコールの裁定は覆った。

一方のミノルタのオートフォーカス機能が特許侵害に当たるとする訴訟は、画期的な製品を開発した日本企業を狙い撃ちにするような形で、後にミノルタがカメラ事業から撤退する要因の一つになったといわれている。

高い技術力を誇る日本のメーカーが世界に挑む際、訴訟などの向かい風とどう対峙(たいじ)していくべきなのか。そうした提言も本書には込められている。

戸津井さんは「戦前から戦後に至る日本人エンジニアの精神や苦労、奮闘を知ることは、令和の日本のものづくりにとって、貴重な糧となるはずです」と話した。(横山由紀子)