パラスポーツが導く共生社会(上)

「社会を変えていくことが自分の役割」 競泳・富田宇宙

競泳(視覚障害)の富田宇宙
競泳(視覚障害)の富田宇宙

新型コロナウイルス禍の中にあっても世界から選手たちが集い、熱戦が繰り広げられた東京パラリンピック。閉幕から1カ月余りがたち、2004年アテネ大会の52個に次ぐ史上2番目の51個のメダル(金13、銀15、銅23)を獲得した日本勢も、すでに3年後を見据え始めている。競泳(視覚障害)で初出場ながら銀2、銅1を手にした富田宇宙(日体大大学院)に、いまの心境やパリ大会への思い、さらに自身が考える共生社会について聞いた。

「これからも伝え続ける」

初めてのパラリンピックは、想像以上の舞台だった。パラスポーツと接点のなかった人たちにもメッセージを届けられたことが何よりもうれしい。

「たくさんの応援メッセージがエネルギーとして日増しに自分の中に入ってくる感じがしていた。皆さんがこの世界を共有してくれたことで、信じてきたパラの力を実感している」。32歳の富田が2024年パリ大会を目指す決意をした理由でもある。

待ちに待った本番は心も体も整っていた。大会初レースとなった8月26日の400㍍自由形は4分31秒69のアジア新記録で銀メダル。続く30日の200㍍個人メドレーでも自己ベストで銅メダルを手にした。そして競泳競技最終日(9月3日)の100㍍バタフライで、今大会に向けた一つの思いが結実する。

ゴール後、介助者から順位とタイムを聞かされると、直後に「キム(木村敬一)は」と聞き返した。1位と知るや、コースロープ越しに夢中で抱き合い、「良かったね」と祝福していた。前回のリオデジャネイロ大会前から、一番近くで努力を見て応援してきた木村の金メダルだったからだ。

富田は進行性の目の病気で失明し、4年前から障害が最も重い全盲の木村と同じクラスになった。「出会ったときは違うクラスの選手、それがライバルとして同じ舞台に立つことになっても(木村を応援するという)自分の考えが変わることはなかった」

ワンツーフィニッシュを決めて喜び合う木村(左)と富田=9月3日、東京アクアティクスセンター(桐原正道撮影)
ワンツーフィニッシュを決めて喜び合う木村(左)と富田=9月3日、東京アクアティクスセンター(桐原正道撮影)

東京大会の波、大きなうねりに

物心がついた頃から星を眺めて育った。宇宙飛行士を志し、スポーツと勉学に全力で取り組んでいた熊本・済々黌(せいせいこう)高2年のとき、徐々に視力が失われる「網膜色素変性症」を発症。「人生に絶望した」。3歳で始めた水泳も高校卒業を機に一度はやめた。

症状が進行し、大学生から白杖を持つようになると、障害者に対する社会の偏見を明確に感じるようになった。仲間を求めるように始めたのがパラ競泳だった。2012年のことだ。すぐに頭角を現し、活躍するに従い、「社会を変えていくことが自分の役割」と思うようになった。世の中に向けた発信者になることで、今の自分を受け入れることができたという。

パラリンピックを開催した意義は大いに感じている。それでも「社会への影響を考えると、まだまだ届いていない」と思う。東京大会で生まれたこの波を、もっと大きなうねりにしていかなければならない。

11月、拠点をスペインに移す。視覚障害者の自立や就労などの支援が充実しており、練習を続けながら、視覚障害者を取り巻く環境についても学ぶつもりだ。「皆さんに納得してもらうには成長しかない。そこにこだわって、これからも伝え続けていきたい」。絶望の淵からこじ開けた第二の人生も、自分らしく、力強く歩いていく。(西沢綾里)

>(下)「就労の先に、挑戦できる社会」 パワーリフティング・宇城元