千田嘉博のお城探偵

北海道網走・桂ケ岡チャシ もうひとつの日本の城

空堀をめぐらした桂ケ岡チャシの主郭。網走市の中心市街地を望む段丘の先端にある=北海道網走市(筆者撮影)
空堀をめぐらした桂ケ岡チャシの主郭。網走市の中心市街地を望む段丘の先端にある=北海道網走市(筆者撮影)

日本の城というと、本州・四国・九州を中心にした「武士の城」をイメージする方が多いだろう。本丸・二の丸・三の丸と階層的な構造をもち、中心に天守がそびえる姿は日本を代表する歴史的景観である。しかし南北に長い日本列島の城を「武士の城」だけで理解してはいけない。

東北北部から北海道、そして北方領土には、アイヌの人々が築いたもうひとつの城「チャシ」があり、沖縄・南西諸島には琉球の人々が築いた「グスク」があった。3つの城は少なくとも16世紀から18世紀にかけて併存した。これほど多様な城がひとつの国に同時にあったのは世界的にも珍しい。日本の城はチャシ、武士の城、グスクからできた複合的なものだった。

城からそれぞれの地域に根ざした豊かな社会の歴史を読み解くためには、城の多様性に寄り添って考える視点が必要である。その視点に立って考えれば武士の城を代表した姫路城と、代表的なグスクがそれぞれ世界遺産に登録されているのに対し、アイヌの人々のチャシだけが世界遺産になっていないのは大きな問題ではないか。

チャシは北海道内に700カ所以上あって、主要なものは国史跡になっている。アイヌの人々は日本列島北部と周辺の先住民族であり、固有の歴史と文化を発展させた。日本政府は積極的にもうひとつの日本の城であるチャシの世界遺産登録を推進すべきだと思う。わが国の3種類の城のうちチャシだけが世界遺産から漏れている現状は、アイヌの人々の歴史と文化を正しく位置づけてこなかった象徴のように感じる。

もちろん聖地として今日も生き続けるチャシがある。だからすべてのチャシを整備・公開すればよい訳ではない。しかしほとんど立ち入ることができない「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」のような世界遺産もあるから、チャシにふさわしい登録のあり方を見つけられると思う。

さて北海道にあるチャシは、北海道の西よりも東の方に進むにつれて、複雑なものが多く認められる。例えば根室市の「根室半島チャシ跡群」には発達したチャシが多い。これは18世紀の和人とアイヌの人々との戦いを反映した結果である。今回お城探偵した網走市の桂ケ岡(かつらがおか)チャシも、地形を活(い)かしてふたつの曲輪(くるわ)を重ねていて、遺構がよく残る。まさに典型的なチャシである。

桂ケ岡チャシは、網走市の中心市街地を望む段丘の先端にあり、木々がなければオホーツク海を一望に収める立地である。小さな谷によってできた尾根の上に主郭(本丸)と副郭を配置した。いずれの曲輪も段丘崖に接していて、崖とは反対側に空堀をめぐらした。主郭と副郭の堀の接合部はわざと掘り残して土橋にして、副郭を経由してから主郭に入るように設計したのが読みとれる。並立的にふたつの曲輪を並べたのではなく、階層的な関係に仕上げたところに、桂ケ岡チャシからアイヌの人々の社会を読み解く手がかりがある。(城郭考古学者)

桂ケ岡チャシ 自然の断崖を利用して作られ、空堀がめぐらされている。史跡としての名称は「桂ケ岡砦跡」で、昭和10年に国史跡に指定された。チャシは「柵囲い」などの意味があり、用途は多様だったようだ。桂ケ岡チャシは交易や祭祀、チャランケ(アイヌ語で「談判」)などを行った場所と伝えられ、「チャランケチャシ」とも呼ばれる。桂ケ岡公園内にあり、網走市立郷土博物館が隣接している。