勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(346)

さらば掛布 再びユニホームは縦じま…信念

スタンドの大歓声に手をあげて応える阪神の掛布=昭和63年10月10日
スタンドの大歓声に手をあげて応える阪神の掛布=昭和63年10月10日

■勇者の物語(345)

掛布雅之が縦じまのユニホームと〝別れ〟を告げる日がやってきた。昭和63年10月10日、甲子園球場での最終ヤクルト戦が「さよなら試合」に充てられた。

「四番サード」で先発出場。第1打席は初球を打って遊飛。第2打席が二ゴロ、第3打席が一ゴロ。そして八回先頭打者で最後の打席を迎えた。

「先発のギブソンに〝すごい打者の最後の打席やからな〟と教えたら、アイツ緊張してもうて、ストライクが入らんようになってしもた」

ヤクルトベンチで安藤コーチが悔やんだ通り、初球から明らかにボールと分かるタマ。そして0―3からの4球目も。ボールが手を離れた瞬間、捕手の秦が「振ってください!」と叫んだ。

「公式戦だしね。そんなことはしちゃぁいけないと思って」掛布は見送った。プロ最終打席はストレートの四球。

<振ればええのに。いや、それをしないのが掛布のええところか…>

掛布は両軍から贈られた花束を持って場内を一周した。5万人の大観衆、沸き起こるカケフコールに何度も頭を下げて手を振った。

「外野スタンドの〝夢をありがとう〟の垂れ幕を見たとき、本当に夢を届けられたのか…と不安になった。でも、心の底から嬉しかった」

筆者は3、4年もすれば指導者(監督)として阪神に復帰すると思っていた。だが現実は、62年に飲酒運転で逮捕された際、「主砲失格」「大バカ者」呼ばわりした久万オーナーの「ワシの目の黒いうちは掛布を監督にはさせん」の言葉が電鉄本社上層部に生き続けた。

10年、20年…。その間にロッテや楽天からのオファーもあったが、掛布は「再びユニホームを着るならタイガース。まず恩返ししてから」と待ち続けた。ある日、阪神の球団社長から「掛布さんはなぜ、他のチームのコーチをしないんです? 経験を積んでもらった方が招きやすいんですが……」と聞かれた。掛布がどんな気持ちで阪神からの誘いを待っているか、球団は知らなかったのである。

平成25年10月、ついに「GM付育成&打撃コーディネーター(DC)」就任の声が掛かった。「龍一、阪神がオレに若い選手を見てくれって」。掛布の声は弾んでいた。引退から25年がたっていた。(敬称略)

■勇者の物語(347)