書評

『コロナとオリンピック 日本社会に残る課題』 遺産と無駄 検証が必要

新型コロナウイルスの世界的流行の中で開催の是非に揺れた東京オリンピック・パラリンピックも、過ぎればあっという間で、テレビ越しに見た熱戦の記憶は日ごとに薄らいでゆく。それでも史上初めて延期された五輪は〝社会の鏡〟として諸問題をあぶり出し、それらは閉幕後の今も残り続ける。五輪研究で知られる社会学者が、開幕までの複雑な経緯や延期に伴う影響などを整理した本書は、改めて東京五輪とは何だったのかを検証する上で助けとなるだろう。

五輪招致からほぼ無観客での開催まで、次々に浮上した問題や混乱については今更説明するまでもない。招致時に掲げた「復興五輪」というテーマは、被災地の実感とズレがあったばかりかコロナの猛威でかすんだ。代わって浮上した「人類が新型コロナに打ち勝った証し」という大義も、緊急事態宣言下の東京ではむなしく消え、結局「経済」か「命」かという二項対立に行きついたのは記憶に新しい。

本書の指摘通り、現代五輪はビジネスや政治の思惑、環境保護やジェンダーの問題など多様な価値観をもまとったメガイベントだ。特に五輪と都市開発はセットであり、2012年ロンドン大会に伴うイースト・ロンドン開発が例に挙げられているが、競技場一つとっても大会後を見据えた明確な戦略があった。当時ロンドンの建築設計事務所にいた私が現場監理を務めた馬術競技場は、世界文化遺産「グリニッジ・パーク」内の仮設施設だったが、テレビ越しの「見え方」まで計算されていた。障害物を跳び越す人馬の先に、新金融街の高層ビル群を見せることで、伝統と革新が融合する観光都市ロンドンをアピールしたのだ。東京大会でも選手村のアスリートらが発信する動画が話題を呼んだが、あいまいな理念のフレーズよりも、世界中の画面を意識した〝解像度の高い〟イメージの方が、未来への遺産(レガシー)になったかもしれない。

著者は「五輪の開催がコロナ禍で宙づりになってはじめて、人々はオリンピックを開催することの意義を真剣に考え始めた」と指摘する。東京五輪はどんなレガシーと無駄を残したのか、私たちは今後10、20年スパンで向き合わなければいけない。続編も期待したい。(石坂友司著/人文書院・1760円)

評・山嵜一也(建築家・芝浦工大特任教授)