勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(344)

杉浦忠の役目 「ホークスの顔」ダイエー本拠地に奔走

「立教三羽がらす」。左から杉浦、本屋敷、長嶋=神宮球場
「立教三羽がらす」。左から杉浦、本屋敷、長嶋=神宮球場

■勇者の物語(343)

南海・杉浦監督と吉村オーナーの話し合いが9月17日、大阪・難波の電鉄本社で行われた。約40分後、記者団に囲まれた杉浦監督は、いつものにこやかな表情でこう語った。

「南海側の球団譲渡の条件として新球団の監督に留任する―というのなら、お断りしますと申し上げた。もちろん、ダイエーの中内社長から監督として要請があれば話は別ですがね。そらそうでしょう。親が娘に〝どこどこへ嫁にやるから行け〟といっても、娘が気に入らなければ行かないでしょう」

杉浦忠、昭和10年9月17日生まれ、当時53歳。愛知県豊田市出身。立教時代は長嶋、本屋敷と3人で〝立教の三羽がらす〟と呼ばれた。プロ入りに際し、鶴岡監督の強烈な説得で、長嶋とともに南海入りが確実視されていた。ところが、長嶋は巨人の巻き返しに遭い巨人入り。まさか…と心配してやってきた鶴岡監督に杉浦は「ボクがそんな男に見えますか?」といったという逸話は、球界では有名なお話だ。

9月23日、大阪市内のホテルで中内社長と杉浦監督の会談が行われ、ダイエーが改めて監督を要請。杉浦は快諾した。

「初めて話をして杉浦さんの人柄がよくわかった。彼はジェントルマンです。プロ野球には子供たちをはじめ、いろんな層から支援してもらわなければならない。そのためには清く、正しく、美しい杉浦さんは最適です」

実は杉浦監督の〝役目〟は、単にペナントレースを戦うことだけではなかった。福岡に本拠地を構えたダイエーにとって、「ライオンズ」が根を張った地に「ホークス」を受け入れてもらうことは並大抵の苦労ではなかった。当初は平和台球場を使用するものの、数年後にはドーム球場建設を計画。その用地は市の計画では住宅予定地になっていた。

用地の買収や県や市への働きかけ。地元企業への支援を求めるためには、その昔、西鉄ライオンズのライバルだった南海ホークスのエース・杉浦忠の「顔」が必要だったのである。杉浦監督はほとんどの宴席に球団幹部とともに出席した。

「いやぁ、あの杉浦さんに頭を下げられては…」。杉浦効果は抜群だったという。杉浦は1年で監督を退任。そのあとも球団取締役として地元への働きかけに尽力した。(敬称略)

■勇者の物語(345)