鑑賞眼

NLT「グッドピープル」善良に生きる難しさ

(左から)マーギー(戸田恵子)、親友のジーン(阿知波悟美)、大家のドッティー(木村有里)
(左から)マーギー(戸田恵子)、親友のジーン(阿知波悟美)、大家のドッティー(木村有里)

障害を持つ娘と暮らす中年のシングルマザー、マーギーと、地元を離れて今はエリート医師になった元恋人のマイク。「もしもマイクと別れていなかったら」と夢想するマーギーは、職場を解雇されて暮らしに困ったことをきっかけに、数十年ぶりにマイクに会いに行く。2011年に米ブロードウェイで初演され、日本では戸田恵子主演で2年ぶりの再演となった。

昔は共に机を並べた同級生が成功者になっているという設定には、思い当たる人も多いのではないか。生まれながらに恵まれている人と自分を比べるのではない。同じ場所で同じように暮らしていたのに、どうしてこんなに差がついてしまったのか。戸田の演じるマーギーは、そんな人の心のもやもやを巧みに表現する。

かわいらしさや飾り気のない正直さと同時に、ずるさやこざかしさも併せ持つマーギー。人の心が持つグッドとバッドを縦横無尽に行き来する戸田の表現力には驚かされる。マーギーの変幻自在の技に追い詰められていくマイク(長谷川初範)が、哀れに思えるほどだ。

そんなマイクの代わりにマーギーと対峙するのが、人種的マイノリティ―でありながら、育ちも性格も良さそうなマイクの妻、ケイト(サヘル・ローズ)。もしも嘘をついているなら「あなたはいい人(グッドピープル)じゃない」とマーギーに迫るシーンでは、母親としての強さと愛情の深さを一瞬にしてにじませた。

社会的地位や収入が高い人を「成功者」と規定するなら、人生においての成功という尺度と、人間的に「グッド」か「バッド」かという尺度は、まったく別物である。成功者は必ずしも「グッドピープル」ではなく、逆もまた然り。

マーギーと、親友のジーン(阿知波悟美)、大家のドッティー(木村有里)の世間話は、実に象徴的だ。教会のビンゴに欠かさず通うマーギーの上司、スティーヴィー(小泉駿也)がゲイではないかとうわさするシーンは、私たちが日常生活の中で無意識に垂れ流す「差別」意識そのものだ。誰もが無自覚に差別主義者で、気づかないうちに誰かを傷つけているという描き方は、客席に小さな波紋を投げかける。格差や差別をはらんだせりふを、丁寧に翻訳した黒田絵美子の腕によるところも大きいだろう。

結局、マーギーの人生は大きく変わることなく、彼らは「大当たり」をめざしてビンゴゲームにいそしみ続ける。鳴かず飛ばずの人生から「成功者」になるのは難しいのに、グッドとバッドの間は簡単に飛び越えられる皮肉。それならばせめて、自覚的に「善良」でありたい。グッドピープルでいることは、難しいからこそ尊い。

10月27日、東京・銀座の博品館劇場で観劇。(道丸摩耶)

公演評「鑑賞眼」は毎週木曜日正午にアップします。