話の肖像画

渡辺元智(2)横高野球の「執念」受け継いだ孫

県予選で優勝、甲子園出場を決めて孫の佳明選手(右)と握手する=平成25年7月、横浜スタジアム
県予選で優勝、甲子園出場を決めて孫の佳明選手(右)と握手する=平成25年7月、横浜スタジアム

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《昨年3月にひ孫が生まれ、「ひいおじいちゃん」になった。孫の佳明(よしあき)さんはプロ野球・楽天の選手で、今季は打率2割7分3厘とチームに貢献した》


佳明が生まれた平成9年は、松坂(大輔、元レッドソックスなど)や後藤(武敏、元西武など)らが2年生のとき。有力選手がそろい、野球部長の小倉(清一郎氏)と、「春夏連覇が狙えるのでは」と色気を出していたころです。佳明の母である次女は合宿所で賄いなどをしてチームを支えており、幼いころの佳明は合宿所で育ちました。

当然、野球部員たちと触れ合うことが多くなる。部員たちも年の離れた子供に興味津々で、キャッチボールなどをしてくれました。10歳上の涌井(秀章、楽天)とはプラスチックのバットとボールで打撃練習をしていたようです。佳明の成長を見て、私は「横浜高校で一緒に甲子園へ」と思い始めました。


《練習が始まったが、思わぬ現実が立ちはだかる》


小さいころはスローイングを徹底して仕込みました。合宿所や自宅の食堂で3メートルほどの距離をとってグラブを構え、「ここに投げてみろ。30球まで終わらんぞ」と投げさせた。「はいダメ、やり直し」「肘で三角を作って、短い距離ならこう、長くなったらこう」。佳明は修正能力がすごく、しばらくするとピタッ、ピタッと投げてくる。驚きましたね。

大きくなったらバッティングセンターです。ランダムという、直球と変化球が不規則に出るマシンで打たせました。ある日、佳明がピッチングコーナーで的当てを始めた。「遊んでいるのかな」と思っていたら、なんとすべての的を当てて、バッティングの無料券を獲得したのです。スローイング練習で自信があったんですね。何枚も無料券をもらい、私のお小遣いは随分と助かりました。

中学生になると強豪の中本牧シニアに入り、厳しい指導のもとで成長していったのですが、レギュラーに定着したわけでなかった。センスはあるのですが、160センチくらいで身長が足りない。考え抜いた末、「横浜高校は無理だ。公立校でレギュラーを取りなさい」と伝えました。


《思わぬ反発があった》


めずらしく反発してね。「レギュラーになれなくてもいいのか」「入れるのなら何だっていい」「じゃあ入学試験だ。ある程度の点数は必要だぞ」と。そうしたら、今度は学習塾に通い始めた。シニアの練習後、夜遅くまで塾で勉強する。ここまでやるか、と思いましたね。入学後もレギュラーはまだ先と思っていました。そのうちOBの筒香(嘉智、現パイレーツ)が「監督、だまされたと思って使ってみたらどうですか。僕も小さいころに使いました」と、身長を伸ばす機械をくれた。佳明は毎日、使っていたようです。

1年生の秋ごろ、一塁手がけがをしたので試合に出した。守備はうまい。打撃もミート力がすばらしく、野手の間を抜く球が打てる。「監督の孫だから」と陰口をたたかれてイヤだったようですが、結果を出すので試合で使いました。筒香の機械のおかげか、身長も伸び始めた。2年生の夏は、県大会準々決勝で、甲子園で奪三振記録を作った桐光学園の松井裕樹投手を打ち、そのまま優勝。私が諦めた「孫と甲子園に」という夢を、佳明が実現してくれました。

その後は東京六大学で首位打者を取り、ドラフト6位で楽天に入団しました。体が小さく野球は無理だと思っていた佳明が、まさかのプロ野球選手です。監督時代は生徒たちに「ちょっとでも可能性があったら、それに懸けろ」と、執念の大切さを指導してきました。孫なので気づきませんでしたが、小さいころから横浜高校の野球に触れて育った佳明は、執念という伝統を受け継いでいたのかもしれません。(聞き手 大野正利)

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