北川信行の蹴球ノート

アルバイトから指揮官に、抜群の求心力持つC大阪・小菊監督は前を向く

YBCルヴァン・カップ決勝で表情を引き締めるセレッソ大阪の小菊昭雄監督=埼玉スタジアム(撮影・蔵賢斗)
YBCルヴァン・カップ決勝で表情を引き締めるセレッソ大阪の小菊昭雄監督=埼玉スタジアム(撮影・蔵賢斗)

10月30日に埼玉スタジアムで行われたJリーグ、YBCルヴァン・カップ決勝で、セレッソ大阪は0-2で名古屋グランパスエイトに敗れ、4年ぶり2度目の優勝を逃した。小菊昭雄監督(46)は「勝たせてあげられなかった私の力のなさ。選手たちに申し訳ない」と敗戦の責任を一身に背負いこんだが、シーズン途中に就任して成績不振のチームを立て直し、決勝まで駒を進めた手腕は本物。アルバイト採用からたたき上げで指導者の道を歩んできた異色の指揮官は「欧州にはプロ選手の経験がなくても、実績を残している名監督がたくさんいる。自身が結果を残すことで、指導者を目指したいという子供たちが増えたらうれしい」と希望を語った。

手紙を書いて面接に

小菊監督がサッカーを始めたのは9歳のとき。自宅にチラシが入っていたサッカースクールに母親が連れて行ったのがきっかけ。その後、高校サッカーの強豪、兵庫・滝川二高から愛知学院大学に進学した。「ずっと中盤の選手だった。高校1年生のとき、全国高校選手権の登録メンバーには入ったが、出場機会はなかった。そのときチームが1回戦で対戦して敗れたのが、優勝した松波さん(正信=現ガンバ大阪監督)の東京・帝京高。2、3年時はレギュラーだったが、選手権とは縁がなかった。1学年上に木場昌雄さん(元ガンバ大阪選手)、1学年下に吉田孝行(現V・ファーレン長崎コーチ)らがいた。大学生になって(プロ選手になるのは難しいという)自分の立ち位置を理解するようになった」と振り返る。

セレッソ大阪との縁は、大学時代の友人が当時の鬼武健二社長(後のJリーグチェアマン)の息子だったこと。「サッカーの近くで仕事がしたい」という小菊監督の夢を知っていて、紹介の労を取ってくれた。手紙を書いて面接に臨んだ小菊監督はアルバイトで採用され、最初は育成組織(アカデミー)で子供たちを教えるところからスタートした。「交通費込みだったが、そういう仕事でお金がもらえるだけで幸せだった」と小菊監督。副業として、喫茶店で働いたこともある。その後、クラブの発展とともに、トップチームを含めたコーチのほかスカウトやフロント(強化部課長)など、さまざまな職種を経験してきた。

当初は「Jリーグの指導者になるとは思っていなかった」という小菊監督が監督業を意識するようになったのは、帰国したブラジル人のレビー・クルピ監督の代行として2012年12月の天皇杯全日本選手権で指揮を執ったのがきっかけ。「コーチとして経験したこととは違うステージの経験ができた。監督ってこんなに素晴らしい仕事なんだと思った。選手には常々、トライしろと言ってきた。だから、自分も監督という素晴らしい仕事にトライしようと思えた」と話す。

絶大な求心力持つ切り札

戦況を見守るセレッソ大阪の小菊昭雄監督=埼玉スタジアム(撮影・蔵賢斗)
戦況を見守るセレッソ大阪の小菊昭雄監督=埼玉スタジアム(撮影・蔵賢斗)

今回のYBCルヴァン・カップ決勝に向けた取材の中で、多くの選手が「小菊さんに助けられた」「小菊さんがいなければ、今の自分はない」などと小菊監督への感謝の言葉を口にした。チームが低迷して今季途中にクルピ監督が退任する中、小菊監督に再建を託した森島寛晃社長は「選手とのコミュニケーションを大事にしながら、試合に出れる準備をする。選手のことを考え、周りに目を向けて一緒になってリーダーシップを発揮してくれる存在」と高く評価する。

長年にわたって裏方としてクラブを支えてきた小菊監督は森島社長をはじめとしたクラブ幹部にとって、いつかはトップチームの指揮を任せたい切り札だった。そもそも、4度目の登板だったクルピ監督とは1年契約で、来季から小菊監督へ〝禅譲〟する青写真を描く幹部もいた。クルピ監督の思わぬ低迷により計画が約半年早まったが、選手からの信頼が厚く、絶大な求心力を持つ小菊監督にまったく問題はなかった。

小菊監督も選手に寄り添う自身の指導について、「試合に出られない選手、苦しんでいる選手をケアする期間が長かったので、選手が自分の力ではい上がってチャンスをつかみ、活躍が勝利につながったときが、指導者冥利(みょうり)だと思う」とした上で「自分自身は紆余(うよ)曲折があって悔しい思いもした。選手たちとは違う経験をしてきたことが、指導者として生きている。何か信号を出していないか表情をチェックし、話をするタイミングを見計らう。厳しく現状を叱咤(しった)したこともある。意図的に話さず、距離を置いた選手もいた。天狗(てんぐ)になっていれば、鼻をへし折らないといけない。どのような対応をしたらベストなのか、考えながらやってきた」と話す。

さらに、元日本代表の香川真司(現PAOK)を発掘したことで知られるスカウト時代には、長崎・国見高の小嶺忠敏元総監督や、鹿児島実業高の松沢隆司元総監督ら日本のサッカーを牽引(けんいん)してきた名伯楽と交わり、コーチとしては、クラブに初のタイトルをもたらした尹晶煥監督、組織的な守備戦術を構築したミゲル・ロティーナ監督、魅力的な攻撃サッカーを志向するクルピ監督らに仕える中で、指導者として研鑽(けんさん)を積み、課題解決の引き出しを増やしてきた。

「どの監督にも大切にするサッカー観があり、いろんな練習方法があった。自分が指揮を執る立場になって、このやり方で反応が悪いなら、別のやり方で…と、毎日積み重ねてきた中から(さまざまなアイデアを)引き出してきた」と小菊監督。YBCルヴァン・カップのタイトルは奪えなかったが、天皇杯全日本選手権は4強に進出している。12位につけるJ1リーグ戦もあと5試合残っている。名古屋に敗れた後、小菊監督は「最後まで魂を見せてくれた。敗戦は残念だが、もう一度、天皇杯を取りにいこう」と選手に訴えた。

「アルバイトで採用されてから24年間、このクラブに育ててもらった。たくさんの経験をさせていただき、恩返ししたい、還元したいという思いでやってきた」と口にする指揮官は、セレッソ大阪の未来のために前を向き続ける。

【プロフィル】小菊昭雄(こぎく・あきお)1975年7月7日生まれ、神戸市出身。兵庫・滝川二高から愛知学院大に進み、98年にセレッソ大阪にアルバイト採用された。育成組織やトップチームのコーチを長く務めた。座右の銘は滝川二高の部訓である「怯(ひる)まず、驕(おご)らず、溌剌(はつらつ)と」。趣味は「自分と向き合う時間として重要だと思っている」というランニング。