勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(342)

南海身売り 球団譲渡に3つの条件

球団譲渡が決まり、ダイエーの中内社長(左)と握手する南海の吉村オーナー=昭和63年9月21日、大阪・なんばのホリデイイン南海
球団譲渡が決まり、ダイエーの中内社長(左)と握手する南海の吉村オーナー=昭和63年9月21日、大阪・なんばのホリデイイン南海

■勇者の物語(341)

昭和63年9月13日、ついにダイエーへの「南海ホークス」球団譲渡が決まった。この日の夕刻、記者団に囲まれた南海・吉村茂夫オーナーはこう語った。

「本日、中国を旅行中の中内社長から電話で球団譲渡について、正式な申し入れがあり、南海としての〝条件〟を申し述べました」

オーナーがつけた譲渡の条件とは

①ホークスのニックネームを残す

②杉浦忠監督の留任

③選手たちの待遇を改善する―の3点。これにもう一つ球団譲渡金として60億円を要求したが「そんなにお金は出せません」と中内㓛社長にあっさりと蹴られたという。

「球団を売るのは2、3年先と思っていたが…。そのころに優勝を争えるチームになっているかどうか。それなら望まれているこの時期に―と決断しました。ファンの皆さまには本当に申し訳ないと思っています」

当時の南海電鉄にとって最大の課題は6年後に開港予定の「関西国際空港」に関連する大阪・難波の再開発の成否にあった。進まぬ大阪球場の移転問題。低迷が続き観客動員が少ないホークス。毎年、4億円以上の赤字が続いていたという。そんな中で川勝オーナーの死後、「かつては電鉄会社が球団を持つのが当たり前だったが、時代の流れは変わりつつある」が持論の経理畑出身の吉村オーナーの就任は売却への道を加速させた。

中国では中内社長が記者団に囲まれていた。

――なぜ、南海なんですか?

「南海側には大阪球場の移転などの事情があった。それに大阪にプロ野球球団が集中しているのも問題でしょう」

――買収金の60億円は拒否された?

「当然ですよ。昨年、シアトルの大リーグを20億~30億円で買わないかと持ちかけられた。日本のプロ野球球団には不動産があるわけじゃなく、選手に給料も支払わなければならない。60億円じゃ引き合わない」

――南海側の3条件はクリアですか

「問題ないと思います」

だが、そうではなかった。杉浦監督が「ダイエーから監督に―と求められれば、受けるかどうかを考えるが、ボクの留任を譲渡の条件にされては困る」と言い出したのである。(敬称略)