スポーツ茶論

視聴者を誰が守るのか 別府育郎

サッカーW杯アジア最終予選、サウジアラビア戦に臨む日本代表イレブン(右)=10月7日、ジッダ(ⓒJFA)
サッカーW杯アジア最終予選、サウジアラビア戦に臨む日本代表イレブン(右)=10月7日、ジッダ(ⓒJFA)

もう28年も前のことになるのか。日本サッカー界が悲願のW杯初出場に王手をかけたアジア最終予選の「ドーハの悲劇」。勝利目前のイラク戦ロスタイムにまさかの同点ゴールを決められて手中の切符を逃し、選手らはピッチに倒れこんだ。

横浜フリューゲルスの監督だった加茂周さんは合宿中、静岡県三島市の居酒屋で居合わせた客全員に「みなさん、今日はわしのおごりや」とビールを振る舞い、乾杯の準備をしていた。だが構えたグラスは合わされることなく、静かに卓上に置かれた。

初出場の夢は次のW杯を目指す代表監督に就任した加茂さんに託されたが、必勝を求められた最終予選のカザフスタン戦に敵地で引き分け、試合後に解任された。

コーチの岡田武史さんが監督代行に昇格し、薄氷を踏む試合の連続の末にイランとのプレーオフで劇的勝利を収めて初出場を決めた。

「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれるこの一戦は赴任先の支局近くのアパートでテレビ観戦し、深夜に方々から狂喜の雄叫(おたけ)びを聞いた。

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「ドーハ」は48・1%(テレビ東京)。「ジョホールバル」は47・9%(フジテレビ)。両試合とも同時間にNHK衛星放送の中継もあっての高視聴率だ。あの興奮はもう味わえないのか。

森保一監督率いる日本代表は現在、W杯アジア最終予選の出足で2勝2敗とつまずいている。さらに深刻なのは、アウェー戦のテレビ中継がないことだ。1つも落とせない11月のベトナム、オマーン敵地2連戦もテレビでは見られない。

最終予選の放送権を管理するアジア・サッカー連盟(AFC)は今年から、中国系代理店フットボール・マーケティング・アジア(FMA)と大型契約を結んだ。

これまで最終予選を中継してきたテレビ朝日はFMAから推定で8年2000億円を要求されて放送権の獲得を断念し、有料映像配信サービスDAZN(ダゾーン)がこれを獲得した。テレ朝はホーム戦のみを購入した。

敵地での試合を見たければDAZNと契約すればいいのだが、無料のテレビ観戦に慣れた層には敷居が高い。

少なくとも、酒場での中継に悲哀を共にし、アパート中が同じ放送に歓喜する環境とはほど遠い。

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市場原理からいえば、どの判断も否定できない。だが、それでいいのか。

例えば英国では1996年の改正放送法で国民の関心が高く重要な大会は貧富の差にかかわらず誰もが無料で視聴できる「ユニバーサル・アクセス権」を定めている。

「クラウン・ジュエル(王冠の宝石)」と呼ばれる保護対象にはW杯の決勝トーナメントなどが指定されており、W杯予選もこれに準じる扱いとなっている。

欧州や南米各国にも同様の法や慣習があり、ほとんどの国で自国の代表戦はテレビ観戦できるのだという。

国際サッカー連盟(FIFA)は英国などの政府がW杯の無料放送を強制しているとして欧州連合(EU)に提訴したが、欧州司法裁判所は2011年、「W杯など公共性の高い試合を有料放送が独占することをEU各国は禁止できる」と判断した。

欧州では立法、行政、司法が視聴を守っている。それはサッカーやスポーツを欠かせぬ文化と捉えているからだ。いずれW杯本大会や五輪が同じ窮地に陥る可能性もある大問題なのだが、衆院選の争点となることは全くなかった。