文芸時評

11月号 「おかえりモネ」余話 早稲田大学教授・石原千秋

早稲田大学教授 石原千秋
早稲田大学教授 石原千秋

触れること、静かに話すこと、話を聞くこと、時間をかけること、待つこと―。これが、気仙沼を主な舞台として、東日本大震災からコロナ感染症流行が収まったらしい数年後の夏までの時間で縁取ったNHKの朝ドラ「おかえりモネ」のモチーフだ。東日本大震災で受けた心の傷を癒やすためにはこれらのモチーフが必要だった。最後はモネと結婚を誓い合った医師の菅波が手を取り合って海岸を背に歩く場面で終わる。これらのモチーフはコロナのパンデミックで失われたことだ。考え抜かれた脚本と演出だった。

ポイントになる場面では、誰もが背中に触れてそっとさする。「痛いの痛いの飛んでけ」と撫(な)でると、痛みを和らげるホルモンがそこに集まると、かつて見たテレビ番組で検証していた。子供が生まれたときには、同僚の生物学者に「人間も動物ですからライオンが子供を舐(な)めて育てるように、たくさん触ってあげてください」とアドバイスを受けた。触れること以外のモチーフは僕には難しいから、いっそう目についた。友人が船で遭難しそうなとき助けを求めて興奮して電話するモネに、上司は「私たちは自分たちの力を過信してはいけません」と窘(たしな)める。モネがあれほど興奮して話したのはこれ一度だったと思う。

モネはある会社の気象予報士だ。ネットで最大限の情報を集めようとする。それがなければモネは気仙沼に帰って気象予報士の仕事を続けられない。モネは、漁業協同組合や介護施設・市役所などにネットで集めた最新のデータを駆使した気象予報を売り込む気象予報士でもある。ネット空間と気仙沼の営みとを繫(つな)ぐのもモネなのだ。

令和2年から小学校でもプログラミング教育が始まった。そこで異能の才が見つかったら、どうするのだろう。強化費を出してその才能を世界レベルまで引き上げるべきではないのか。国威発揚のためにオリンピックには強化選手を設けるのに座学は強化しないのは、ある種の国家主義と偏見のなせる業ではないのか。それでこれからの世界で生き残れるはずはない。数多くのモネも生まれないだろう。

今月は新人賞の月だ。どれも個性的で質が高く、それぞれ別の理由で読みにくい。

新潮新人賞は久栖(くず)博季「彫刻の感想」。「子熊が、川べりにとんと尻をついた」と始まるのがいい。この少しユーモラスな一文で北海道の話だとわかる。第二次世界大戦末期に北方領土から北海道に引き揚げてきた少数民族ウィルタ族の女性3代の物語だが、それを50ページで書くのは無理がある。そこで「幻視、幻想、憑依、鳥などの異種へのメタモルフォーゼ」(鴻巣友季子の選評)が多用されるが、これを50ページに詰め込むのはさらに無理がある。枚数を考えるべきだが、もっと長く書かせてあげたかったとも思う。

すばる文学賞は永井みみ「ミシンと金魚」。なんと認知症で介護をうけている女性の一人称小説。便をポロリと漏らすと「糞婆あが糞踏んで、ギャグにもなんねー」となって笑わせるかと思うと、夫が自殺したことを忘れていて、それを聞かされると何度も驚く。この「ボケ」に付き合うのは楽しく疲れる。終盤は正気のような記述が続いて、それが少し残念。最後までけむに巻いてほしかった。

文芸賞は澤大知「眼球達磨式」。魚眼レンズに車を付けた小さなRCカー「アイ」を操作して街を見て回るうちに他のアイとなってしまったらしくて制御できなくなり、そのアイの映像を見ることになる。不審者がでるという噂を流して監視カメラを売るらしい批評的な挿話も挟まれる。女性の裸体を見る夢を早めに配置して、こっちへは展開しませんよと読者に注意を与えながら、最後になって女性と寝る羽目になるが、それは選挙の「ウグイス嬢」が鳥になったらしい。この奇妙な話を細部まで書き込んで飽きさせないのは相当な力量だ。