司馬遼太郎記念館20年 草木に宿る司馬さんの精神

現在は司馬遼太郎記念館がある敷地に隣接する自宅で、インタビューに答える司馬遼太郎さん=昭和63年撮影
現在は司馬遼太郎記念館がある敷地に隣接する自宅で、インタビューに答える司馬遼太郎さん=昭和63年撮影

作家、司馬遼太郎さん(1923~96年)の自宅に隣接して整備された「司馬遼太郎記念館」(大阪府東大阪市)が来月、開館20年を迎える。開館以来、庭に植えられた木々は成長を続け、司馬さんが愛した雑木林になった。「司馬さんが作品を通して語り続けたメッセージは、コロナ禍で社会が疲弊している今こそ求められる」。記念館を設計した建築家の安藤忠雄さんはそう指摘する。時とともに深みを増す木々。そこに宿る司馬さんの精神とともに、記念館と今を生きる人々の心を深く包み込む。

「どうして日本人は…」-作家としての原点

建築家の安藤忠雄さんが設計した記念館は、司馬さんの死去から5年後の平成13年11月に開館した。庭には司馬さんが愛したクスやクヌギ、シイ、季節ごとに菜の花やニホンタンポポなどの草花が植えられ、成長した草木が開館から20年がたった記念館を包み込む。

草木の中には、司馬さんの「原点」に触れられる木がある。10年前に植えられた、栃木県の佐野市立植野小学校の校庭にそびえていたスズカケの巨木の子孫で、地元の有志が寄贈したものだ。

【司馬遼太郎記念館開館20年】スズカゲの木(中央)=8日、大阪府東大阪市(前川純一郎撮影)
【司馬遼太郎記念館開館20年】スズカゲの木(中央)=8日、大阪府東大阪市(前川純一郎撮影)


司馬さんは昭和18年、学徒出陣で兵庫県内の戦車第十九連隊に幹部候補生として入り、旧満州(中国東北部)に渡った。20年、本土防衛のため日本に戻って同小に駐屯。同年8月の終戦を、佐野市で迎えた。

当時22歳だった司馬さんは、戦争について「どうして日本人はこんなにばかになってしまったんだろう」と疑問を抱いた。作家になってからもその答えを探し続け「私の作品は、日本人とは何かをテーマに、22歳の自分に向けた手紙である」とも語っている。

司馬さんも仰ぎ見ただろうスズカケの子孫。記念館の上村洋行館長は「作家としての原点ともいえる思いを伝える、貴重な木です」と話す。

成熟する司馬さんの精神

植樹から10年がたったスズカケは5メートルほどの高さに成長。司馬さんが愛した「名もなき雑木」の一部になり、記念館を包み込む。「20年がたち、司馬の精神を見事に再現した建物や庭が、成熟しているのを感じる」。開館して以来、庭と建物を見守ってきた上村館長はそう話した。

開館から20年を迎える司馬遼太郎記念館。庭で生い茂る司馬さんの思いが宿る木々が記念館を包み込む=大阪府東大阪市(前川純一郎撮影)
開館から20年を迎える司馬遼太郎記念館。庭で生い茂る司馬さんの思いが宿る木々が記念館を包み込む=大阪府東大阪市(前川純一郎撮影)

あの戦争への疑問を抱き続けた司馬さん。色あせないその精神を、木々や草花の一本一本が語り継ぐ。上村館長は「これからも司馬の精神を大切に守り、急速な時代に対応できる文化を発信する記念館でありたい」と話した。