私にはもう一つの名前があった。
フランスの作家ジッドの『狭き門』で、主人公が思いを寄せる女性の名前からいただいた「ありさ」である。
文学青年だった父が命名したこの名前はしかし、生後十数日で変更することになる。祖母の反対にあったのだという。
血のつながりのなかった祖母と父が、長年にわたり厳しい関係にあったことは大人になってから知った。娘がかわいがられないことを恐れた父が、出生届の提出期限直前に変更を決断したそうだ。
当時の親の思いなど子供だった私には想像もできず、ただ「自分にはもう一つの名前があった」という事実を知って、妄想が膨らむばかりだった。
漢字の「彩子」とひらがなの「ありさ」では、印象が全く違う。
お友達にはどんなふうに呼ばれるだろうかと考えるのも楽しかったし、もう少し美人だったかもしれない、運動が得意だったかもしれないなどと、遺伝の仕組みを無視した想像も加わり、もう一人の自分を思い浮かべては楽しんでいた。
ありさのことを考えなくなったのはいつからだろうか。年齢を重ねて、大小さまざまの分かれ道を選んで選んでここまで来た。選ぶことさえできなかった分かれ道もあった。
生まれたての私に「ありさ」と呼びかける、若かった日の父と母の姿を思い浮かべてみる。あのときのありさは彩子になって、迷いながらもなんとかこちら側を歩いている。
廣澤彩子 46 東京都練馬区